< かっこつけ男に制裁を >

 煙草の匂いに、敏感に反応してしまう自分が悔しいと思う。
 一つ先を行ったような余裕のある表情が、態度がずるいと思う。
 どうにかしてあの端正なところを崩せないものかと、いつも思っていた。

「マヨラーなんて、姉御に名前を呼ばれたらイチコロヨ」

 酢昆布を咥え、さらに片手にも酢昆布の箱を持つ神楽が、割と真剣な目で妙に告げる。つい先ほど淹れ直したお茶を差し出しながら、名前、と妙は問い返した。

「……そんな簡単なものかしら」
「オトコほど単純な生き物はいないネ、姉御。それが惚れた相手なら、なおさらヨ」

 ちちちと、指を振る神楽に思わず微笑んだ。姉御? と首をかしげられ、なんだか、と妙は口を開く。

「神楽ちゃんのほうが先輩みたいね。おかしな気分だわ」
「フフ。姉御はイロコイには疎いからネ」
「あら、意味深。まさか神楽ちゃんは経験豊富なの?」
「それはまだ内緒ヨ。姉御がもうちょっとオトナになったら教えるネ」

 二人の笑い声が弾けて、その場に散った。

 夜の終わり、朝の目覚め、妙にとっては一時の休息が始まる時間。いつものように妙は、朱の差す、薄暗い道を歩いていた。その道中で見つけるくゆる紫煙もまた、いつもの光景だ。

「よう」
「こんばんは。いつもご苦労様です」
「別に、苦労してるとは思っちゃいない。疲れてるのはあんたのほうだろうしな」

 少し隈ができてるぞ。ちらりと笑いながら、土方が妙の頬に手を伸ばした。無骨な手は、そのくせ優しく頬に触れる。親指でまなじりを撫でられ、妙の顔に赤みが差した。その反応にも、土方は笑っている。
 こういうところだ。いかにも「大人」であることを見せられるところが、妙には少し不満だった。付き合うのなら余裕のある男のほうがいい、そう感じてはいる。しかし、すること為すこと余裕綽々の態度でいられるのもつまらない。これではまるで、自分ばかりが入れ込んでいるようではないか。

「? どうかしたか、お妙さん」
「……いいえ、なんでもありません。少し、眠いのかも」

 落ち込もうとする気分を持ち直し、妙は土方に笑いかけた。わずかに首を傾けたが、そうかと呟いて土方は頷く。それから二人並んで、恒道館までの道を歩いた。
 他愛ない会話がどれほどか続いた頃、道場の屋根瓦が見えてくる。そろそろだな、と土方が呟いたので、そうですねと妙も答えた。

「じゃあな。ゆっくり休めよ」

 これもまた、いつもと変わらない別れ際の挨拶。

「ええ、」

 変化をもたらすのならこの時だ。

「十四郎さんも気をつけてお帰りくださいね」

 だから妙はこの場で、神楽から告げられたことを試みた。
 訪れた沈黙は一瞬、そして土方は咥えていた煙草を落とした。

「……いま、なんて」

 思わぬ反応に、妙のほうが驚く。煙草を落とすだけではなく、土方の頬はわずかに赤らんでいた。こぼれる声も、どこか震えたように聞こえる。

「え、え? いや今の、俺の聞き間違いじゃないよな? ちゃんと言ってくれたよな、幻聴なわけないよな? な?」

 自分に言い聞かせるように、土方はぶつぶつ呟いている。いつもは整った表情も態度も、わたわたと慌ただしい。そんな土方に、妙は笑わずにいられなかった。

「! お、妙さん」
「土方さんでもそんな反応するんですね。ふふ、可愛い」
「男に可愛いは褒め言葉じゃねえ! からかったのかよ、……呼び方も戻ってるし」
「あら、からかったつもりはないんですけど」

 ただ神楽からの助言を実行したに過ぎない。ここまで反応をもらえるとは思っていなかったが。

「十四郎さんのそういう顔、初めて見たわ」
「……そりゃ、好きな女の前じゃ恰好つけたいモンだからな」

 頬を朱に染めたまま、土方が告げる。その言葉にはにかみながら、妙はそろりと微笑んだ。神楽ちゃんにお礼を言いに行かなきゃ、感じる喜びの中でそんなことを考える。

「ああくそ、かっこ悪ィ」
「あら、私は好きですよ。そういう顔見せてくれるほうが、心を開いてくれてるって感じられるもの」
「……もしかして不安だったのか?」

 ぽつりと言い当てられ、妙は口を噤んだ。黙した肯定に土方は眉根を寄せ、それから自らも妙に寄せる。土方の抱擁を、妙は受け入れた。煙草の匂いが、鼻孔をくすぐる。

「悪かったな。あんたが思うより、俺は相当なかっこつけらしい」
「そうですね」
「そこは否定してくれ……」
「嫌です」

 きっぱり答えた妙は、笑い声をこぼしながら土方の背中に腕を回した。