< だから彼女は目を閉じる >
続けて顔を出す時もあれば、ぱったりと姿を見せなくなる時もある。そんな規則性のない彼が再び妙の前に現れたのは、雨の降る午後だった。
昼を終えて食後のお茶を飲んでいる時、神威は現れた。傘は差していたのだろうが、吹きつける風に乗った雨に打たれたのか所々が濡れている。その身で屋内を湿らせてくれるのも迷惑だと、妙はタオルを持ってこようとした。
何も言わずに立ち上がろうとすると、自分に向かって影が落ちる。何事かと顔を上げると、すぐそこには神威の顔があった。
「……なんですか、近いんですけど」
「ウーン。よく見たら妙って綺麗な顔してるなあ、と思って」
「私が綺麗なのは、私が一番よく知っています」
「妙のそういう自信過剰なトコ、嫌いじゃないよ」
「それはどうも」
それが世辞であれ本心であれ。いつもと似たような会話は、妙に流すすべを覚えさせていた。この時も妙はにこりと笑って、さらっと受け答える。
そうすると神威もにっと笑った。
「その貼りつけたような笑顔も嫌いじゃない。妙のそれは、俺が殺す人間に対して笑うのと同じモノだ。だから、好きだよ」
同じモノ、という単語に妙は笑みを引く。
神威が人を殺す時に笑うのは、それが彼の作法らしい。どんな人間でも、最後は笑顔ですこやかに見送るのだと。
では神威は、妙の普段の笑顔を作法だというのだろうか。作法と言えば聞こえはいいようだが、義務づけられたことのような印象を受ける。義務で笑っている、それは強制力の帯びた動作。やりたくもないのに、やらされている。笑いたくもないのに笑っているのだと、神威が言外にほのめかしているような気がした。
頭にきたが、妙は黙することを選んだ。いくらなんでも考えすぎだと思ったのだ。そんな妙に神威が微笑む。妙が考えていることを悟ったらしい神威は、おかしそうに「怒った?」と尋ねてきた。どうやら神威は悟っただけでなく、もともと妙が考えているような意味で言ったようだ。目の前の表情からそれを読み取り妙の内側が波立ったが、なんとかそれを抑える。
「……いいえ」
「じゃ、なんで眉間にシワを寄せてるの?」
「これは諦観っていうんです」
諦めてこだわらなくなった、そう説明して、一つ知識が増えましたねと笑ってみせた。神威の言った「貼りつけた笑顔」を作れば、神威は笑みを深める。
「諦めが早いネ、妙。そんなんじゃ、欲しいものができたとき手に入れられないよ」
「ご心配なく。本当に欲しいものに対しては、貪欲になれますから」
「ヘェ、それは羨ましい。俺も妙に、貪欲に求められてみたいもんだネ」
それは揶揄か本心か。相変わらずこの男は、よくわからない言葉を投げかけてくるものだ。あんまりにもたくさん放ってこられると、いちいち真に受けるのも疲れてくる。
「……気が向いたら、望んであげますよ」
向けられる好意の真意は、妙にはわからない。けれどその好意には、わずかなりとも純粋な気持ちがこめられていた。ほんのわずかではあれ、純粋な気持ちは否定したくない。何より妙自身はそう思っている。だからこの時、妙ははねのけなかった。気が向いたら。望んであげると、口にしたのだ。
「じゃあ、早いとこ気が向いてくれることを祈ってるヨ」
向けられる神威の笑顔に、殺意はない。笑顔を向けた時は殺意を持っている時だとも聞いたことはあるが、妙は神威の殺意の対象ではないのだろう。少なくとも今のところは。神威の気が変わって、妙と言葉を交わすことがつまらなくなるまでは。興味が失せれば、神威はここへは来なくなるだろう。それこそ、殺す気すら起こすこともなく。
何日も姿を見せない時は何度かあったが、それがずっと続くような日がいつかくるのだろうか。もしそんな日が訪れたら、妙はどう感じるのだろうか。
(わからないわ)
考えたところで、仮定は仮定だ。考えても意味を成さないかも知れない、考えるだけ無意味かも知れない。それとも、もう自分は知っているのだろうかと妙は思った。知っていて、けれど知らないふりをしているのかも、と。気づいてしまえば、今のような穏やかな時間を過ごせなくなってしまう。それがたとえ作られたようなものだったとしても、失いたくないと考えているのかも知れない。
「妙、何考えてるの?」
「……何も考えてません」
考えているとしても、神威にとってはとてもくだらないことだ。正直に言うつもりなど、妙には欠片もない。
「じゃあ、俺の相手をしてよ。会いに来たんだ。構ってくんなきゃ拗ねちゃうよ」
どこまで本気なのだろう。いいや、すべて本気なのだ。本気だから執着し、そして断念する。
「それじゃあ、タオルを取ってくるからそこで待っててください。うろうろしたり、畳を濡らしたら怒りますよ」
まだ気づきたくない、知らないふりをしていたい。それを認めるには、妙にはなんの覚悟もないのだ。
「ウン。大人しくしてるから、一緒にあそぼ」
今はまだ。
珍しく神威←妙っぽい
掴めない人間に恋をするのはいろいろ覚悟が必要そうです