< 夏の飴にご用心 >

 手にしたのは一つの飴玉、こぼれ落ちるのは軽やかな笑い声。重量の感じない物体もその音も、我ながららしくないと思える類いのものだった。
 けれど、自分は気にしない。気にしたところでどうかなるわけでもなし、気にする必要なんてないのだ。
 だってそうだろう。
 このどきどきを、誰が止めたいと思うものか。

「やっほー、妙」

 おとなう日というのを、特には決めていない。気が向かなければ行かないし、行きたいと思えば足を向ける。訪問というのは、そういうものでいいだろうと考えている。
 だからこの日、訪れたい、と思ったこの時、神威は恒道館へとやってきた。特定の人物を呼べば、彼女は振り向いてため息をつく。

「……また来たんですか」

 神威が訪れると、妙はいつも息を吐いた。疲れたような呆れたような、歓迎していない否定的と取れる表情で。
 しかし神威は気にしない。気にしたところでどうかなるわけでもなし、気にする必要なんて以下同文。

「今日はお土産を持ってきたんだヨ」

 妙の迷惑そうな雰囲気を受け流して、神威は言葉を紡ぐ。妙も妙で、神威のそんな態度には慣れたのか、また一つ息をついてから言葉を返した。

「持ってきたという割には、身軽そうですけど」
「ああ、それはね。ホラ」

 畳の上に正座している妙の横へ腰を落ち着けた後、神威は右手を上げた。軽く握った拳を妙の目の前に寄せれば、彼女は首をかしげる。目をまたたかせるさまは、年相応の幼さが見て取れた。いつもの毅然とした表情も嫌いではないが、それが崩れる瞬間はとても好ましい。

(どきどきする)

 胸が高鳴って、血が騒ぐのだ。戦いに身を落としている時のような、それとは少し違ったような、妙な高揚感。最近、くせになっている心地だった。
 思わず顔を綻ばせると、笑われたと思ったのか妙の眉根が寄せられる。誤解ではあったが、神威は訂正しなかった。彼女の怒った表情も、気に入っているものの一つなのだ。

「……この中にあるなら、早く開いてください」
「ウン」

 にこにこし続けていると、怒る意味のなさを感じ取ったのか、妙が神威を促した。誘われるまま神威は頷いて、手のひらを妙に見せる。
 そこにあるのは、一つの飴玉。神威がここへ来る前に、持ち出した「お土産」。

「飴、ですか」
「そう。お土産」
「くれるんですか?」
「お土産だからネ。なんなら、食べさせてあげてもいいヨ」

 結構です、と妙は言った。否定されるだろうことは予想済みだったが、残念、と寂しそうな表情を作ってみせる。妙も妙で、そんなポーズはお見通しだとばかりに鼻で笑った。

「その笑い方は、さすがにひどくない?」
「自分勝手にやってきて人の憩いを邪魔するあなたと、どっちがひどいんでしょうね?」

 にっこりと。嘲りの後の、満面の笑顔は追い打ちをかけるようだ。そんな容赦のなさも、神威を引きつける。
 そんなふうに、神威の関心を湧かせるようなことばかりするから、離れられないのだ。

(どきどきする)

 飴を渡すと、妙はその場で包みを開いた。これには神威が驚く。予想では妙は、すぐに食べることなどしないと思っていたのだ。礼を失さない彼女は「ありがとうございます」と言って、懐に入れるか机に置くか、とにかく口にはしないのだろうと。
 今度は神威が目をまたたく番だった。ぱちぱち、目蓋の開閉を繰り返すと妙が笑った。

「今日みたいに暑い日だと、飴も溶けて固まっちゃいますから」

 早く食べておかないと。言い終えた妙の口内に、飴が入り込む。コロコロと転がる音が、小さく聞こえた。

(どきどき、する)

 一際強く、らしくない、と神威は思う。
 飴をあげたのは自分だ。食べさせてあげようかと言ったのも自分だ。拒まれることはわかっていて残念だと見せかけを作ったのも自分、ただ妙がすぐに食べてくれるとは思っていなかっただけで。
 たった一つの予想外、彼女の一連の動作、大仰でもない小さな動きに、

(どきどきしてる……)

 こうも乱されるものだとは。

「フフ」
「何がおかしいんですか」

 頬が熱いのは気のせいだろうか。妙が指摘しないということは、気のせいかも知れない。
 けれどどっちだっていい。気にする時間がもったいない。この高揚感の中、妙を見て彼女と言葉を交わしたいのだ。

「ねえねえ、しばらくしたらその飴、俺にくれない? 口移しで」
「はっ倒しますよ」
「俺、妙になら押し倒されてもいいヨ」

 コロコロと可愛らしく続いていた音が、がりっという音へ変わってしまった。

夏場、飴を外に放置しておくとべたついて食べにくいなあと思って出来たネタ
べたつく飴だけに、ベタ惚れ兄ちゃん(何一つ上手くない)