< 風邪ひきの昼下がり >

(頭が痛い)
「風邪をひいている時って心細くなるっていうけど、それってホントなのかなあ?」
(頭が、痛い)
「ねえ。どう思う、妙?」
(……頭が痛い)
「妙、たーえ。起きてるくせに、寝たふりなんてひどいや」

 返事してよ俺の相手してヨ、と顔を覗き込んでくる(目を閉じていたがそういう気配を感じた)男の存在に、妙の頭痛が増した。
 無視を決め込もうとしていたが、そうしたところでこの男は諦めないだろう。気が変わって飽きてくれるのを待つほうが、今の妙には耐えられない。げんなりとした気分で目を開けた妙は、額に当てていた布を手に取って上半身を起こした。

「あ、やっと起き上がってくれた。ねえねえ、さっきの質問の答えは?」
「……あのですね」
「ウン、ウン」
「私、頭が痛いんですが」
「そりゃあ、風邪ひいてるからでしょ? 風邪にもいろんなのあるけど、今の妙は頭が痛いやつなんだね」
「ええ、そうですね。頭痛と悪寒と高熱で、私は寝ていたんです」

 ウン知ってるよ、と、にこにこした顔の男が答える。妙は力の限りこの男の顔に拳を叩き込みたいと思った。

「知ってるから、聞いたんだ。答えてよ、妙。今、心細い?」
「いいえ。強いて言うなら、心苦しいです」

 この場合、相手に対して気の毒だ、などという意味としては決して使っていない。我慢できない、耐えられない、という意味で使っているのだが、きっと相手には通じていないだろう。通じていたところで、この男は流すに決まっている。

「そうなんだ。じゃあ、俺がそばにいてあげるネ」

 果たして神威は、まったく好ましくない返答を寄越してきた。妙の頭痛がさらに増す。いったいどうしたらいいというのか。こめかみを押さえた妙はため息をついた。

(……ああ、頭が痛い)

 がんがんと鐘が鳴り響くような痛みが妙を襲う。ぞくぞくする背筋は何をやっても温まりそうにない。そのくせ頬は焼けるように熱いのだ。こんな問答などしていないで、ゆっくり静かに寝ていたいというのに。この男は本当に、人のことを考えてくれない。また熱が上がりそうだ。
 妙は再び布団にもぐり込む。神威は宣言通り去る様子を見せず、妙に話しかけてきた。

「つらそうだね、妙」
「ええそうね。あなたがいるから、まったく気が休まらないわ」
「それにしても、風邪ひいた妙を放ってお仕事に行くなんて、弟くんは冷たい奴だネ」
「馬鹿言わないでください。看病するって言った新ちゃんを出したのは私よ。こんな風邪、寝てればすぐに治るもの」
「フウン? さっきからずっと見てたけど、治る気配まったくないじゃない」
「……あなた、いつから覗いてたんですか」

 こんな時に、どこぞのストーカーを思い出させないでほしい。取り替えたばかりの布が、既にぬるくなってしまった。
 もう一度水に浸そうと額に伸ばした手が遮られる。重い目蓋を開ければ、神威が布を取っていた。

「俺がやってあげる」
「あなたにできるんですか?」
「あ、ひどいなァ。俺だって雑巾絞りくらいしたことあるよ」

 それは雑巾ではないのだが、反論する気力は残っていなかった。熱のこもったため息を吐いて、神威の好きにさせてやる。動くのも億劫なのだ。
 時間を置かずに、額に冷たい感触があった。熱くなっている額にそれは気持ちがよく、強張っていた全身から少し力が抜ける。気持ちいいかという神威の問いかけがあったような気がしたが、それに答えるには妙の意識は持たなかった。

 風邪をひいたことは、それこそ何度もある。寒さに震え熱さに苛まれ痛みに耐える中、孤独と寂しさを感じたことがなかったかと問われれば、きっと「否」なのだろう。けれどそれは、幼少期の話だ。今がどうかと聞かれれば、妙は首肯する。心細さなど感じないと。
 ふっと、急に意識が浮上する。どうやらしばらくの間、眠っていたようだ。どれくらいの時間かはわからないが、そこまで長い時間ではないだろうと妙は思った。風邪の時の眠りほど、短いものはない。
 数回まばたきを繰り返して、ゆるゆると視線を上げる。その先にある顔と視線が合って、妙は内心でとても驚いた。

「……まだ、いたんですか」
「忘れちゃったの、妙? さっき、そばにいてあげるって言ったじゃないか」
「あなたのことだから、退屈だって早々に帰ると思ってました」

 夢も見ないほどに眠っていたからか、先ほどよりは気分が軽い。口を開くことも、そこまで苦痛ではなかった。

「退屈を感じるほどそんなに長い時間でもなかったし、妙の寝顔を見てるのも楽しかったよ」
「悪趣味ね」
「妙はひどいことばっかり言うネ」

 その割に神威の表情は柔らかだ。楽しげに緩められた空気を持って、妙のそば近くから離れない。時折、額の布に手をやっては、冷たい水に浸す動作を繰り返していた。
 なんだか穏やかな時間だと、妙は思った。心細いと思うほど子供ではないが、体調を崩した時にそばに誰かがいるというのは、思っていた以上に気持ちが安らぐ。その相手が神威であっても、そう感じるのはなぜだろうか。

(……気が弱っているからだわ)

 見知らぬ人間ならばいざ知らず、少なからず知っている相手だからこそ安心してしまうのだろう。それもすべては風邪をひいていつもと違う状態だからだと、妙は結論づけた。
 額に乗せられる冷たさが気持ちいい。黙ってそばにいてくれることが心地よい。安心して眠れると思えるのも、風邪のせいだ。

「妙のそういう無防備な姿なんて滅多に見られないから、楽しく感じるのはトーゼンだと思うけどなあ」

 ぽつりと呟かれた神威の言葉を拾った妙は、やっぱり悪趣味だわ、と思いながら目を閉じることにした。

寂しいわけじゃないけどそばにいてくれたらやっぱり安心するくらいには神威に気を許してるお妙さん(説明的)