< 低カロリーでも食べすぎに注意 >

 机の上に置かれた小瓶は、ガラス越しから赤い色をのぞかせている。

「ジャムですか」
「そう。低カロリーで女の子に人気の品らしいんですって」
「へぇ。そりゃまた」

 低カロリーとは、如何にも女目当てに売り出された品である。しかし実際によく売れているのならば、中身も結構な代物なのだろう。これ一つを買うだけでも一苦労したと妙は言った。

「で、姐さんはどうしてこれを?」

 いつものように見回り途中の休憩場として、沖田は恒道館を訪れた。場を提供してもらうことに対する礼として(まあこれは建て前のようなものだが)手土産を持参したら、それを見た妙がくだんの品を持ってきたのだ。

「沖田さん、今日はクラッカーを持ってきてくれたでしょう。せっかくだから、つけて食べようと思って」
「ああ、そういうことですかぃ。なら、納得でさぁ」
「沖田さんもご一緒にどうぞ」
「……いいんですかい?」

 目を見開くと、妙は笑顔を見せて頷いた。人気商品ならば購入時、結構な争奪戦が起こったのは想像に難くない。そんな苦労の果てに獲得した物を、こうも簡単に他人へ分け与えていいのか。物にもよるが、沖田ならそんな真似は進んでしない。心ゆくまで自分だけが堪能する。
 逡巡は一瞬だった。沖田は口元を緩めて、「お相伴にあずかりやす」と頷く。

「結構いけやすね、これ」
「ええ。買って損はなかったみたい」

 評判が高いだけあって、ジャムの味は上々だった。低カロリーゆえに甘さは控えめだが、そのさっぱり具合が塩気のあるクラッカーにはちょうどいい。二枚、三枚と手が進み、気づけば最後の一枚を残すだけになった。

「最後は姐さんが食いなせぇ」
「あら、でも」
「もともとそれは、姐さんへの手土産ですぜ。俺の顔を立てると思って、一息にいっちゃってくだせえよ」

 ぬるくなった茶をのどへ流し込みながら、笑いを含んで沖田が促す。それでも妙はまだ悩んでいるようだ。いつもより遠慮がちな様子に、沖田は首をかしげる。

「姐さん?」
「でも、ジャムを買ってきたのは私ですよ。沖田さんも気に入ってくれたみたいですし、最後の一枚はあなたがどうぞ」

 はい、と最後の一枚を妙が差し出した。ご丁寧にジャムもつけている。沖田はクラッカーを見て、妙を見て、もう一度それに目を落とした。
 「結構いける」とは言ったが、妙への土産ごと自分が完食するほど気に入ったわけでもない。どうせなら妙の喜ぶ姿のほうが見たいのだが、ジャムまでつけてくれたそれを突き返すこともできない。
 姉という立場から、他へ分け与えることがくせになっているのだろうか。そう考えれば、妙の行動にも納得がいく。
 しばらく考えて、沖田は手を伸ばすことにした。

「じゃ、いただきやす」
「はい。どうぞ」

 自分の意見を取り入れてくれたことが嬉しかったのか、妙はぱっと顔を輝かせる。そんなに嬉しそうにしてくれるなら、手を伸ばす選択肢を取ったことも悪くなかった気がする。これからの行いによっては、その表情を消してしまうかも知れないが。
 だからといってやめる気もない。思い立ったが吉日と言うし、男なら行動あるのみだ。

「ねえはん」

 もくもくと食べながらの呼びかけは、行儀が悪いですよ、とのたしなめを受けた。それでも妙は沖田の手招きに応じる。相変わらず簡単に他人の懐へ入ってくる人だと思い、沖田は内心で息をついた。
 もう少し警戒心を持ってほしい、でも自分には無防備であってほしい。意識されないのは困るが、警戒されすぎて近づいてくれないのも困る。考えるのはそんなこと。妙の行動一つ一つに沖田が翻弄されているなど、彼女は思ってもみないのだろう。だから沖田は、違うところで妙に仕返しをする。妙にしてみればいわれのない仕返しかも知れないが、そこを気にしてはいけない。こういうことは大抵が独りよがり。相手のことをいちいち気にしていたら、いつまで経っても先へは進めないのだ。
 たとえばこんなふうに、妙のくちびるを奪うこととか。

「ん……!?」

 飲み物ならともかく咀嚼済みの食べ物を移すのはアレだろうと、沖田は口の中の物を飲み込んだ後で口づけた。それでも口内に残る風味はきちんと渡そうと、妙の中へと舌を滑り込ませる。つ、と相手の舌をなぞるのは気持ちがよかった。
 それにしても不思議なことだ。クラッカーと一緒に食べた時はすっきりとした味だと思っていたこのジャム、

「……ずいぶんと甘ぇや」

 本当に低カロリーだったのだろうか。

ちなみにいちごジャムでした