< 気づいたらおしまいだ >
あの生き物を「女」と認識したのは、その日が初めてだった。
その日の近藤への仕打ち(ただしこれは近藤本人が原因でもある)は、いつになくむごたらしいものだった。志村妙の機嫌がすこぶる悪かったのだろうか、ひと殴りがいちいち重い。
見るに見かねた沖田は、二人の間に入った。止めてくれるなという、それこそ鬼のような形相を妙が寄越す。向けられた威圧にわずかばかり怯んだが、沖田はすぐに意気を取り戻した。このままであれば、近藤のご遺体ができてしまう。それはどうあっても避けなければならない。
間に入るだけで止まらないならば、妙自身の行動を止めるまでだ。
「邪魔しないでください!」
沖田が退かないところを見て、こらえきれないように妙が叫ぶ。その音をかわし、沖田は振り下ろされようとしていた妙の手首を引っ掴んだ。
「その辺にしときなせぇ、姐さん」
いささか乱暴になったが、優しく包む余裕などない。何せ相手は怒りに身を任せているのだ。少し強引でなければ、止められるものも止められない。沖田は手首を掴む指に力を入れた。
妙が、音にならない声を発する。痛みがあったのだろう、その顔はわずかにしかめられている。それを見て、沖田は手の力を緩めた。
「おい、近藤さん頼まぁ」
妙の暴走を遠巻きに見ていた部下に声をかける。すぐに二、三人が意識のない近藤を抱え連れて行った。残りの隊士たちも後に続くのを、沖田は見届ける。
そしてその場に、沖田と妙だけが残った。
「……沖田さん」
「なんですかぃ、姐さん」
訪れた静寂からややあって、妙がよわよわと声を出す。少し震えているのは、沖田の気のせいだろうか。
妙に顔を向けると、どうしたことか頼りない表情が作られていた。思わず沖田は、目を見開く。
「あの、手を離してください」
「……へぇ」
返事をするものの、沖田は手を離さない。離せない、といったほうが正しいかも知れない。妙の表情が珍しくて、沖田はついつい凝視してしまう。
見られていることと手を離せという要求を呑まれないことに、羞恥と怒りを覚えたのだろう。妙の顔がまたしかめられた。それに気づいて、沖田は「ああ」と手首に視線を落とす。
それからぱちりと、目をまたたいた。
正確には驚いた。身の内で、衝撃があったのだ。
(……細ぇ)
まじまじと、自分が掴んでいる相手の手首を見つめる。同じくらいの年で、それほど差のない身長で、しまいには近藤を簡単に伸してしまう人間。外見はともかく、中身は(旦那曰くの)ゴリラ同然である人物。女性らしい女性などと、これまで思ったことのなかった沖田にとって、その手首の細さは衝撃にしかならなかった。
「沖田さん?」
戸惑いと、訝しみの呼びかけに、はっと我に返る。慌てて妙を見やり、振り払うように手首を離した。荒っぽい離し方に、妙が小さく悲鳴を上げる。その声にまた我へと返り、沖田はあわあわと謝罪を述べた。
「すい、やせん」
「いえ、その……謝るのは、こちらのほうですし」
「へ?」
「……近藤さんへ、すみませんと伝えておいてくれませんか」
思わぬ言葉に、沖田は間の抜けた声を出す。向けられる遠慮のない視線に居心地が悪いのか、妙は顔をうつむけた。
「半分はあの人も悪いですけど、半分は私の八つ当たりも入ってたんです。……沖田さんも気づいてたでしょう、いつもよりひどいの」
「え、ええ、まあ」
「だからその、謝っておいて、くれませんか」
はっきりと言いにくそうに、妙はもじもじとしている。先ほど目にした鬼の形相はどこへいったのか。そもそもあんな顔をしていたのは、本当にこの女なのだろうか。沖田は軽く混乱した。
惑った頭ではまともなことが考えられない。謝りたいのなら自らが行くのが礼儀だろう云々、沖田は妙に諫めることも忘れ、頷いていた。
そこから屯所までどうやって帰ったのか、沖田は覚えていない。
ただ道中、自分の手のひらをじっと見ていたことはおぼろげな記憶として残っていた。屯所に帰ってからも、同じことをしている。妙の手首を掴んだ手のひらをじっと見つめて。あの時触れたもの、感じたこと、それらすべてを目にとどめておくように、記憶に残そうとするように、ただただじっと。
(なんでぃ、これは)
寝床へ転がり仰向いて、電灯の光に手のひらをかざす。
おかしな気分だった。
今まで女らしい女だとは思っていなかった相手、その強さは近藤さんの横に並ぶには認めてやらなくもないと思っていた相手、自分が「姐さん」と呼ぶくらいには許していた相手。
少なくとも沖田が反応するような異性ではないと思っていた。異性とすら思っていなかったかも知れない。ただ「志村妙」という人物としてしか認識していなかった。
それが手首を掴んだくらいで、己とまったく違う柔らかさを感じたくらいで、どうしてこうも落ち着かないのだろう。
(細かった、柔らかかった。……いい、においがした)
今まで目を向けようとしてなかった部分に気づいてしまったことに、沖田はひどく後悔をした。