< あやふやな関係は、今日限りだ。 >

「よ、サド王子。お前も居残り?」

 赤点組はツラいねえと疲労を帯びたため息をつく銀時に、頬杖をついていた沖田は否を示す。

「俺は人待ちでさ、坂田の旦那。赤点組はそっちの四人のみでしょう。俺を頭の悪い部類に入れねえでくだせえよ」
「待て、沖田。俺は赤点組ではないぞ。俺がここにいるのは、銀時たちがどうしてもと言うから」
「いいからとっとと答えを教えろ、ヅラ。俺は早く帰りたい」
「答えばあわかっても意味がないがに、ちんすけはいられじゃ。アッハッハッ」
「おい、誰がちんすけだ、誰が」

 自分の名前も忘れたのかやっぱりちんすけは馬鹿じゃのう、と笑い続ける坂本に、高杉をまとう空気がどす黒くなっていく。確かにアウトな名前で呼ばれれば、誰だってそうなるだろう。ご愁傷様と思いながら(それでも坂本は致命傷を負いはしないだろう)、沖田は銀時と桂に視線を移す。

「意外だねぃ。旦那方ならさっさととんずらこいてるもんだと思いやしたよ」
「くっそ、俺だってこんなもんやりたくねえっつうのに」
「悪い点を取ったのだから、それ相応の処遇は受けなければならんだろう。俺の目が黒いうちは、好き勝手させんからな」
「お前は俺のかーちゃんか。赤点ごときで塾に通わせるスパルタかーちゃんか」

 ぶちぶち言いながらも、桂に解き方を教わり銀時はプリントを埋めていく。生真面目も生真面目な桂のせいなら、この光景も珍しくはないのかも知れない。沖田はつと、プリントを覗き込む。

「あ、旦那。ここ違いますぜ」
「あんだと、どこが違うんだよ」
「途中の計算を間違えている。こういった見落としは何かと痛いぞ。注意を怠るな」

 両方からの指摘に、銀時は顔をしかめた。うるさいのだろうと思うが、沖田は口を閉じなかった。人の嫌がる顔というのは何よりの好物なのだ、この機を逃す手はない。にやにやとしながら指摘を続ければ、銀時の顔はますます歪んでいった。
 ふと、黒い空気がいつの間にか消えた高杉が立ち上がった。いくつかたんこぶを拵えた坂本が、高杉の行動を問う。

「どこに行くんなが、ちんす」
「うっせェ、いい加減それやめろ」
「おい、高杉」
「すぐ戻るってェの。構うな」

 ひらひらと片手を振って、高杉が教室を出る。便所か、と銀時が呟き、他の二人もその可能性に頷いた。そんな中、沖田だけは高杉の行動に首をひねる。なぜか、何かが、引っかかる。いわゆる勘というものが、沖田を納得させないでいた。

「どうした沖田。お前も雪隠か?」
「せっち……お前な、もうちっと学生らしい発言したらどうよ。今時の若者が雪隠はねえだろ、雪隠は。せめて厠とかだな……」

 銀時が桂に意見し坂本はその様子に笑っているようだったが、沖田は気にかけることなく足を進める。高杉が行ったであろう方向、そしておそらくはこの先にいるであろう、

「よォ、志村」
「あら、高杉くん」

 彼女。
 「おそらく」は「確実」に変わった。女より劣れども、男の勘も悪くはないらしい。沖田はこっそりため息をついた。

「放課後に一人って珍しいわね」
「そうでもねェ。暇そうだな。ちっと付き合え」
「どこに?」
「聞きてェことがあんだよ」
「聞きたいことなら、適任者がいるだろぃ」
「あ、総ちゃん」

 とある可能性(沖田にとってそれは確信であったが)を阻むため、沖田は彼らの会話に入り込んだ。気配に気づいていたのだろうか、高杉はさほど反応しない。ただ面白そうに口角を上げただけだった。

「委員会は終わったんか、妙」
「うん。今から教室に戻ろうと思ってたの。……聞きたいこととか、適任者って何?」
「三馬鹿が居残ってんで、桂がそれを教えてるってだけでぃ。妙には関係ねえ」

 会話に入り込むついでに、自身も妙と高杉の間に割り込ませる。高杉は言い返すでもなく、残念、とだけ呟いて背を向けた。
 淡白な態度に、沖田は目をまたたかせる。もう少し食い下がられるかと思っていただけに、拍子抜けだ。何か裏でもあるのだろうかと首を傾けていると、総ちゃん、と名を呼ばれた。姉の他には、幼馴染みの妙だけにしか許していない呼び名。

「高杉くんが来た理由はなんとなくわかったけど、私が教えに行かなくてもいいのね?」
「当たり前でぃ。妙は俺と帰るんだ、約束してたろ」
「うん」

 妙が微笑み、ふっと空気が和らぐ。「外用」ではない、親しい相手にしか見せない本来の笑顔にとくりと胸が打った。

「あ、でも鞄が教室に……」
「俺が取ってくる。先に昇降口、行ってなせぇ」

 一時の別れの後、沖田が足を踏み入れた教室には誰もいなかった。先ほどの今で四人すべてがいない、そして沖田と妙の鞄もない。つまりどういうことか、それは考える間でもない。
 目を閉じた沖田はそっと息を吐き、ゆるりと微笑んだ。

(あんの野郎ども……!)

 その微笑はとても黒ずんで、なおかつ冷たいほどだったのだが、それを知る者は誰一人としていない(なぜならそこには沖田しかいないのだ)。不穏すぎる笑みをこぼしながら、やはりすんなりと身を引いた高杉に裏はあったのだと沖田は思った。思うだけではすまないので、すぐさま昇降口へと向かう。
 果たしてそこには、言われた通りに待っていた妙と、にやけた顔を携えた四つの顔があった。

「いーい度胸してんじゃねえかぃ、高杉」
「なんのことだかねェ」
「いいではないか。志村さんとお前の鞄は持ってきてやったんだ」
「そういう問題じゃねえや。大体、居残りプリントはどうしやがったんでぃ」
「アッハッハッ、こんまいことは気にしな!」
「ちょっと待って、今のは聞き捨てならないわ。やることはきちんとやらないとだめよ」
「へえ。じゃあ、俺とヤることをきちんとヤっ」
「セクハラよ坂田くん。ふざけたこと言ってると殴るからね」
「既に殴ってますけどって、痛え! 何しやがるヅラ!」
「ヅラではない、桂だ。今の発言は俺も聞き流すわけにはいかない。そもそも未成年男女の交際というものは清くあるべきでだな……」

 わいわいざわざわ喧々諤々、今日も今日とて沖田と妙の帰路は騒がしい。ここのところメンバーさえ変わることがあれど、この喧騒は変わらないようだ。はあ、と沖田がため息をつけば、隣を歩いていた妙が声をかける。

「どうしたの?」
「俺の幼馴染みは誰彼構わず人気なようでぃ、って思ってただけでさ」
「そうかしら」

 とぼけているような、本気でわかっていないような。どうとも読めない彼女に対して、そうなんだよ、とは答えなかった。代わりにもう一度ため息をつけば、不意に手のひらへ熱が灯る。

「……妙?」
「知ってる? 総ちゃんも女の子に人気だったりするのよ」

 こっそりやきもち焼いてたりするの、知らないでしょう。
 きゅっと握られた手、ほんの一瞬であったけれど。そっと落とされた言葉、小さくて聞き取るのが難しかったけれど。
 確かに繋がった、聞き逃すことはなかった。妙の本音、その真意。
 耳を赤くさせた妙は、騒ぐ四人組の元へと行ってしまったが。

(なんてこったい)

 帰ったらすぐにでも、聞き質さなければ。

お互いに人気者だからお互いに妬いてたという
幼馴染みゆえの呼び捨てもいいけど、「総ちゃん」呼びもいいなあと思ったので後者を取りました