< ラムネって開ける時が怖いよね >

 目と鼻の先にあるのに、どうやっても手に入らない。だからそれは、とてもとても魅力的なのだ。
 太陽に当たってきらきら光る。コロコロと、耳に響く可愛らしい音。
 目の前にあるのに。傾かせれば手に入りそうなのに。
 どうしたところで、それはこちらへ落ちてくれない。
 隔てる壁が、そこにはあるのだ。

「このビー玉、どうやったら取れんだよ」

 屋上のフェンスに背を預けた銀八は、苛ついた声を出した。既に空になった瓶を逆さまにしては、飲み口の近くにとどまっているガラス玉をカラコロと鳴らしている。

「先生、普通こういう物はどうやっても取れない仕組みになっています」

 律儀に答えたのは、なぜか正座をしている桂だった(制服汚れるぞ)。手に持っている瓶の中には、まだラムネが残っている。

「こんなもん、壊しゃいいだろ」

 くく、と物騒に笑う高杉は、そのまま誰の制止を聞くこともなく腕を振り上げた。
 間を置かず騒音が辺りに響き、砕け、四方へ飛び散ったガラスが日の光を浴びてきらめいている。なかなかに幻想的な光景だったが、銀八と桂は顔をしかめた。

「てめっ、後で掃除しろよ。バレたら文句言われんの、俺なんだからな」
「物を簡単に壊すな、高杉。飛んだ破片で怪我をしたらどうする」
「フン。どうでもいいだろうが」

 二つの小言を一蹴した高杉は、悲劇の末路を迎えた瓶に目を向けた。そのまま眉根を寄せ、不機嫌な表情を作る。壊すことを進んでやったくせに、なぜ機嫌を悪くするのか。銀八と桂は目を合わせ、首をかしげた。
 高杉? と銀八が声をかける。どうしたんだ、と桂も重ねて問う。返ってきたのは、ちっ、という舌打ちだった。

「どっか行っちまった」

 何が、と問い返すまでもなく、それがビー玉であることに気づく。破片はその場に残っているものの、ガラス玉だけは見当たらない。
 からん、と瓶の中を転がる音が一つ響いた。
 高杉は、音を発した桂を一瞥する。桂は前方を見すえたまま、お前は極端すぎるんだ、とこぼした。

「歴史で出てきた織田信長だな。鳴かぬホトトギスを、お前は殺してしまうタイプだ」
「言えてらぁ。今度から織田杉って呼んでやろうか」
「呼ぶな、アホ担任」
「誰がアホだ、誰が」
「てめえだ、ボケ担任」

 桂を挟んで銀八と高杉が言い合いを始めた。人を挟んで小競り合いをされても傍迷惑なだけだ。どうやって収拾したもんかと悩みながら、桂はちらちらと光るガラスの欠片に目を移した。
 邪魔だったガラスを砕いたはいいが、肝心の物まで飛んでいってしまった。

(彼女もこうなのだろうか)

 ふと、そんなことを考える。そういえば似ているな、とも思った。
 すぐそこにいて手を伸ばせば触れられそうなのに、彼女自身が作り出した壁に阻まれて彼女のすべてを手に入れられない。作り物めいた笑顔が、それ以上の侵入を許さない。特殊な形の瓶のように、彼女の防御壁も一筋縄では崩せない。無理に壊したところで傷つけるだけだろう。そうして最後は見ることすらできなくなりそうだ。高杉がそうしてしまったように。

「志村さんのようだな」

 呟いた言葉に、飛び交う怒声がぴたりとやんだ。思いのほか効き目のあった一言に、桂はそっと苦笑する。

「……んの話だ」

 高杉が問う。

「なんのこと言ってんだ、オメー」

 銀八にしてはとぼけた声だ。

「さて」

 苦笑を微笑に変え、桂は続ける。

「なんのことだろうな」

 桂が志村妙を「何」に例えたのか、二人は気づいているのだろう。もしかしたら桂がその考えに至るより前に、銀八も高杉も当てはめていたのかも知れない。
 だから銀八は、ビー玉の取り出し方をわざわざ聞いたのだろうか。いい大人なのだから、知っているはずの現実を知らないわけでもないのだろうし。
 だから高杉は壊してしまったのだろうか。衝動的にも見えるそれは、それまで積まれてきた重圧のはけ口だったのかも知れない。
 いっそ壊せたらどんなにいいか、結局それはできないのだけれど。

「本当に、どうしたら手に入るのだろうな」
「……そうだな。瓶を割るのもな、アレだしな」
「……壊す以外の方法なんざ、知らねえよ」

 三人が三様に呟いた言葉は、青い空に吸い込まれた。

ラムネ飲んでる時に思いついたネタ