- 陸 -
恒道館から出て、当てもなく歩いていた。時間ばかりが過ぎ、空は橙色に染まっている。
大橋にかかったところで、銀時は足を止めた。
(あいつ、ちゃんと選んだんかな)
欄干に肘を乗せ、川を覗き込みながらぽつりと考える。視線を落とした川面には、死んだ魚のような目をした自分の顔がゆらゆら揺れていた。我ながらおかしな顔だ。
不意に、顔が一つ増えた。ぎくりとして目を横に向けると、綺麗な笑顔がそこにある。
「お、たえ」
「ずいぶん探しました。こんなところにいたんですね」
病み上がりだろうに、妙はいつもと同じように整然としていた。近藤を外して話をした時の、あの弱々しさが感じられない。気まずさを覚えた銀時は、欄干に体重をかけ直すふりをして視線をそらした。
「よく、新八が外に出させたな」
「近藤さんに付き添ってもらいましたから」
「へえ」
「私、近藤さんにちゃんと好きだと伝えました」
「……へえ」
「背中を押してくださって、ありがとうございます」
「別に」
自分からそうするように仕向けたのだ、聞かされる内容は当たり前のものだろう。理想の結果を耳にしているはずだ。しかし銀時は、妙の口からこぼれる音を聞きたくなかった。対応も、自然と素っ気ないものになる。
「祝福してくれないんですか、銀さん? あれだけ私に言い聞かせてくれた張本人なのに」
「それとこれとは、違えだろ。俺は俺の思うままを言っただけ。どう動くかは、オメー次第だ」
水鏡を見おろしながら告げる銀時に倣うように、妙もまた川面を見おろした。そして彼女は、ずるいわ、と呟く。
「私に委ねるなんて、汚いわよ銀さん」
「大人ってみんな汚えの。だから俺も、ずるいんだよ」
「……選んだら、もう、私は誰のせいにもできない。自分で決めたことだから、自分が責任を持たないといけない」
「そうだな、選択ってのは責任を伴う。若いからって無責任に動きゃ、必ず後悔する。お前には悔いてほしくないんだよ。それが連れ添う相手なら、なおさら」
橙に暗色が混じってきた。夜も間近だ、そろそろ戻らなければ。
銀時は欄干から体を離し、じゃあな、と妙に別れを告げた。妙には近藤が付き添っているのだ、送らなくても大丈夫だろう。
しかし、妙の声が銀時を阻んだ。
「銀さん」
「……何」
「銀さんは、私のことが好きでしょう。近藤さんほどではなくても、あなたは私に恋情を持っているわ」
「なん、」
「私も、銀さんが好きですよ」
息が止まる。振り向いたまま、銀時の体が固まった。
「近藤さんに『私が心から望むこと』を聞かれたんです。私、すぐには答えられなかった。銀さんが言ったように、私はまだ幼いから。未熟だから。でも、軽はずみな気持ちですべてを決めたくなかった。だから私、終わりにしてほしいって言ったんです」
「終わ、り?」
「私を見限ってください、とお願いしました」
銀時は目を見開く。つい先ほど近藤に告白をしたと聞かされたばかりだ。ここに来るまで、近藤に付き添ってもらったことも聞いている。それでは矛盾しているではないか。
「私、どちらつかずにいる自分が嫌いでした。銀さんも近藤さんも同じくらい好きな自分が、決められない自分が嫌でした。だからいっそのこと、どちらからも目を向けられなくなってしまえばいいと思ったんです。私は、自分自身を見つめる時間が欲しかった。だから一度、きりをつけたんです」
『近藤さんが好きです。だから私を、見限ってください』
「銀さんが好きです。だから銀さん、私を見限ってくれませんか」
近藤に告げたことと同じ内容を、妙は銀時に告げた。告げられた銀時は声を失い、呆然と妙を見つめる。
「これからは、ただの『従業員の姉』として接してください」
「……お妙」
「そうして自分を見つめ直したら、また、」
妙はその先を続けなかった。「これから」がどうなるか、妙自身もわからないのだろう。また銀時を好きになるのか、近藤の大きな存在に気づくのか、あるいは別の誰かに目を向けるのか。
「それじゃあ、銀さん。今日はお見舞いありがとうございました」
「……ひとりで、帰るのか?」
近藤はここに来るまで付き添っていただけで、銀時を見つけた時にはもう戻ったのだろう。案の定、銀時の言葉に妙は否定をせず頷いた。
「ええ、ひとりがいいんです」
銀時もまた頷く。
そして彼らは、お互いに背を向けた。