< 短くて長いその間 >

 ある暑い夏の日、「行ってくるアル」という言葉と定春を残して神楽ちゃんは江戸を発った。彼女の旅立ちを、僕らは笑顔で見送った。泣く理由なんてないからだ。だって彼女は、そのうちここへ帰ってくる。それまで万事屋は、銀さんと僕の二人と定春でやることに決めていた。
 はずだったのだが。

「ちょっと銀さん、また昼寝ですか。暇なら仕事探してきてくださいよ。もう何日、働いてないと思ってるんです?」
「だからオメーはダメなんだよ、新八。俺たちは万事屋だ。何かに困ってる奴らを助ける万事屋。依頼人はここを目的に来るのに、肝心の俺たちがここにいなきゃ意味ねえだろうが」
「そうは言ってもですね、最近ぱったりじゃないですか。このままだと神楽ちゃんが帰ってくる前に、つぶれちゃいますよここ」
「でーじょーぶだって。いいかぁ、ここはオメーらが入るずっと前から成り立って、これから先もずっとここにあり続けるんだよ。ちっとやそっとじゃ、つぶれないようにできてんだって」
「ホントですかねえ……」

 ふう、とため息をついて洗濯籠を持ち直す。以前より服の量が減ったそれは、少し軽く感じた。

「今日も仕事、入ってきそうにありませんね」
「ぐー」
「……こんのダメ侍」
「ワン」
「お互い苦労するね、定春」

 昨日より大きく息を吐くと、同調するように定春が頷いた。

「今日は雨か。あれ銀さん、出かけるんですか?」
「おう、ちょっとな。すぐ帰ってくっから留守番よろしく」
「わかりました。雨が降ってますから、気をつけてくださいね」
「へいへい」

 銀時がいなくなると、室内には新八と定春だけが残った。いつもよりも静かな空間に、新八は一瞬、息を止める。問うような定春の視線に「なんでもないよ」と答えたが、胸の内にしこりが残った。
 しとしとと、窓に隔てられた雨の音が耳を打つ。そういえばこんな雨の日、神楽ちゃんの傘に三人でぎゅうぎゅうに詰まりながら帰ったことがあったっけ。あの時は楽しかったなと考え、頭を振る。

(ちゃんと留守番しなきゃ)

 両手で頬を叩き気を持ち直そうとするが、あまりうまくいかない。無意識に口が開き、いくつかの音をこぼしていった。

 時間というものはあっという間に流れるもので、気がつけば一ヶ月が経っていた。三十の日数を過ごした今も気が滅入ったままなんて、男として人としてどうなんだろうと考えながら、今日は晴れ、とぽつり呟く。雲一つないいい天気だ、こういう時は定春を連れて散歩するのがいいかも知れない。そうだ散歩にでも行って気分転換をしよう、そうすればこのモヤモヤもなくなってくれるんじゃないだろうか。

「定春、散歩に行こうか」
「ワン」
「おいおい、ぱっつあんよ。仕事中にサボり発言ですかー」
「いつまで経っても本腰入れないダメ人間に言われる筋合いありませんよ。買い物にも行かないといけないし、そのついでです。それとも銀さん、今日の特売品、荒ぶる主婦に負けることなく買ってきてくれるんですか?」
「俺に構わず行ってこい。いちご牛乳よろしく」
「まったく……」

 やれやれと肩を落とし、定春を伴って万事屋の戸を開けると、そこには一人の少女がいた。ちょうど戸を開けようとしていたらしく、彼女は少し目を見開いている。

「……神楽、ちゃん」
「久しぶりネ、新八。定春も。私がいなくて寂しかったカ?」
「ワン!」

 戸惑う新八をよそに、一ヶ月ぶりに帰ってきた神楽は定春とじゃれ始めた。その様子に気づいたのか、奧から銀時の声が聞こえる。なんだ帰ってきたのかと、相変わらずだるそうな声だ。それでもその声には、どこか嬉しげな色が滲んでいるような気がする。

 帰ってきた。
 神楽ちゃんが、ここに。
 僕らのいる万事屋に……。

 くるくると、その言葉が新八の脳内を駆け回っている。ひと月ぶりに見る神楽は、ひと月前となんら変わっていない。けれど何かが違う気がした。

「これから散歩アルか? 私も行くネ。久しぶりに酢昆布食べたいヨ、新ぱ……新八?」

 何が違うんだろうと、新八は思う。神楽が呼びかけているから返事をしないといけないのに、新八に問うのは自身の声だ。何が違う、ひと月前と何が違った?

「新八?」
「……」
「……寂し、かった?」
「……!」

 先ほどと同じ質問を、今度はゆっくりと問われた。思わずどきりとする。言い当てられた気がして、ああそうだとすべてに合点がいく。
『違うのは何?』
『違うのは僕自身。僕の気持ちがひと月で変わっていた』
 声がうまく出せない。新八は頷くことで肯定した。

「お、かえり。神楽ちゃん」
「ただいま、新八」
「この一ヶ月、万事屋って全然仕事してないんだ」
「ウン」
「まったく銀さんはダメだよね。神楽ちゃんがいないだけで、あんなふぬけになっちゃってさ」
「ウン。新八は?」
「僕……、僕も、ダメダメだったよ。やっぱり君がいないと、万事屋は三人じゃないと。……神楽ちゃんがいないと、僕は毎日つまらないや」
「奇遇ネ。私もヨ」
「えっ」

 顔を上げると神楽が笑っていた。そして室内の銀時に告げる。

「銀ちゃん、これから散歩に行ってくるアル!」
「行ってこい行ってこい。明日から今までの分こき使うからな」
「わかってるネ!」

 行こう新八、定春。
 神楽が新八に笑いかけて駆け出していく。新八も笑って駆け出した。

 買い物がすんだら、定春を連れて公園に行こう。そうしたらそこで、さっきよりもはっきりした声で伝えなくちゃ。本当の思い、自分の気持ち。君がいないだけで満ち足りない心、君のいないその時間はとても苦痛でしかないこと。
 本音を告げたら、君はなんて言うだろう?

旅立ち神楽。何のことはないただの里帰りですが、ぱっつあんに一ヶ月はとてつもなく長かったようです
銀さんがずっとゴロゴロしてたのは、新八には内緒で一ヶ月間休業にしてたからです(経営者としてそれはどうなんだ)