< ため息の振動 >

 震えた空気が耳を打つ。いつの頃からかそれはとてもよく馴染んで、そうそれはとても憎らしいほどに、

(最悪アル)

 神楽は独りごちた。

「神楽ちゃん、聞いてるの?」

 神楽の独り言など聞こえなかったのだろう、呆れたように新八が問いかける。神楽はうるさそうに隣を見やって、聞いてないアルと言い放った。続く新八のたしなめも聞く耳持たないと立ち上がり、定春を連れて部屋を飛び出す。それが怒鳴り声に変わっても、やはり神楽は知らんぷりをした。
 定春の背に寝転んで見上げる空は、どこまでも青い。時折空を渡る船以外は綺麗なもので、波立っていた神楽の心も次第に落ち着いていった。
 張っていた気が収まり、自然と緩やかな息が吐かれる。

(ため息は嫌いアル)

 ため息をつくと幸せが逃げると言ったのは誰だっただろうか。それを聞いて以来、神楽は極力ため息をつかないようにしていた。銀時や新八と会ってからは、意識せずともため息をつく機会はなくなっていたのだが。息をつくとしても落ち込んだ時ではなく、呆れた時くらいだ。そのため息を、神楽は嫌ってはいない。
 嫌いではないはずだった。

(新八のせいヨ)

 背中に感じる緩やかな振動が、神楽を眠りの淵にいざなう。こんな街中で、定春の背に仰向けたまま寝てはいけないと思いながら、いつしか神楽は目を閉じていた。
 ゆらゆら、揺れる。遠い昔、母に抱かれていた記憶が思い起こされて、とても懐かしい。マミー、とこぼれた音は、雑踏に消えた。

 神楽ちゃん。
 神楽ちゃん!
 もう、神楽ちゃんってば!

 たしなめが怒鳴り声に変わることは、日常茶飯事だ。それから新八は諦めたように、呆れたように息をつく。神楽はそれが嫌いだった。
 新八が息を吐き、空気が揺れる。震えたそれが神楽にまとわりつき、耳障りな声を落とす。
『ほらまた呆れられた』
『君はなんて子供っぽい』
 うるさいと、聞きたくないと、神楽はいつも新八から逃げた。

(呆れさせたいわけじゃないアル)

 本当はしっかりした自分を、新八のそばに置きたい。神楽は我儘ばかりの人間だと思われたくないのに。
 そう思えども、現実はいつも神楽を正反対の行動にばかり移させる。気づいた時には反発している、いつも新八を怒らせてしまう、それを見たくなくて、ため息を聞きたくなくて逃げてしまう。
 本当はもっと、可愛い姿を見せたいと思うのに。

「神楽ちゃん」

 万事屋を飛び出す前に聞いたものよりも、穏やかな声が耳に落ちる。新八の声だとすぐに気づいて、それでも神楽は目を閉じたままだ。さっきの今で新八の気分がすぐに変わるとは思えない、だからこれは夢なのだと。

「神楽ちゃん。いくら定春の背中に乗ってるからって、外で寝ると風邪ひいちゃうよ」

 新八の心配そうな声は、神楽は嫌いではない。けれど、もっと好きなのは新八の嬉しそうな声だ。それを聞けば、不思議と自分も嬉しくなる。自分の行動で新八の口からその音を出せたらどんなにいいかと、神楽はいつも考えていた。ため息なんかじゃなく、心が跳ねるような色合いを引き出せたらと。

「神楽ちゃんってば。……熟睡してるのかな」

 どう思う定春、と新八が狛犬に問いかけている。夢の中には定春もいるようだと考えて、そこで神楽は飛び起きた。

「しん、ぱち?」
「うん。おはよう、神楽ちゃん。よく寝てたみたいだね」
「……なんで、ココに」

 夢だと決めつけていた神楽を、驚きばかりが占めている。いつの間にやら公園に身を落ち着けていた定春のそばには、喧嘩別れした新八がいた。どこか困ったような、安心しているような複雑な表情をして神楽を見ている。

「なんでって、探しに来たからだよ」
「わ、わざわざ探しに来る必要なんてないネ。私、そんなに子供じゃないヨ」

 また可愛くない発言をしてしまったと、神楽は後悔する。本当は嬉しかった。勝手に出て行った自分を、額に汗を滲ませてまで探しに来てくれて嬉しいと思うのに。神楽の口から出てくるのは、あまのじゃくな言葉だけだ。

「わかってるよ」

 新八の返事に神楽は目を見開く。まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。驚く神楽を尻目に、新八はただ微笑む。

「神楽ちゃんが女の子だから、心配して探しに来たんだ」
「……エ」
「また星海坊主さんの時みたいに、連れてかれちゃったら嫌だからね」

 僕ら、ずっと一緒にいるんだから。そう告げられた神楽は、いつの間にか新八に手を取られていた。突然のことに頭がついていかない。ただ頬に血が集まるのを感じ、顔が赤くなってしまっただろうことはわかった。慌てて振り払おうとするが、なぜかそれが叶わない。新八、と声をかける。それでも手は離れずに、

「心配、したんだよ」

 ただ強く、新八は告げた。

「…………ウン」

 どれほどか時間が経った後で、神楽はぽつりと呟く。ゆっくりと手を握り返すと、新八の顔がいっそう綻んだ。よかった、と新八が安堵のため息をつく。
 空気が震え、けれど、その振動は悪くない、と神楽は思った。

お題提供 : ふりそそぐことば
新神祭が開催された時に提出したもの
何やかんやでいつも一緒にいる新八と神楽が好きです。ぱちぐらバンザイ