< ほんとうはきみのこと。 >

 今日はまた立派に腫れたほっぺね、と、いつもと変わらない綺麗な笑顔で妙が言った。新八はそんな姉に、そうですね、と答えるしかない。

「昨日はたんこぶを作って、一昨日は切り傷やら擦り傷やらこさえてたわよね」
「……そうですね」
「相変わらず、仲がいいのね。新ちゃんと神楽ちゃん」
「どこをどう取ったらそうなるんですか、姉上……」

 いつもなら怒鳴るところを、最愛の姉の前ということもあってか、新八は力なく突っ込んだ。

「あら、違うの? じゃあ、二人は犬猿の仲なのかしら。そうよね。毎日毎日、顔を合わせるたびに取っ組み合いをして怪我を作るんですもの。仲がいいわけないわよね。新ちゃんと神楽ちゃんの相性は最悪なんだわ」
「……」
「ふふ。新ちゃん、眉間にしわが寄ってるわよ」
「……姉上は、意地悪です」

 妙はもう一度柔らかく微笑んで、素直じゃないからよ、と新八の頬に湿布を貼った。
 素直じゃないのは姉上も一緒です。その一言は余計な発言でしかないので、新八は心に思い浮かべるだけにとどめておいた。これ以上、傷が増えるのは嬉しくない。
 新八の治療を終えた妙は、お茶を淹れてくると腰を上げた。その際、ぽつりと質問を落とす。

「ねえ、新ちゃん。新ちゃんは神楽ちゃんのこと嫌いなのかしら?」

 その一言。ぽつんと落として、妙は行った。新八は姉の言葉を耳に入れながら、頬へと手を伸ばす。湿布を貼られた箇所へ、かの少女による鉄拳から生まれたそれに、そっと。

 どうしてこうなったのかよくわからない。
 否、新八は知っている。妙が言うように、素直ではない自分が少女に不機嫌を呈し、結果、こういう状況になっていることを。以前はそこまでひどくなかったものが、ここ最近では多発していることを。その理由を。
 なんのことはない、気に入らないのだ。
 彼女と、彼女に関わる男の存在に。

 新ちゃんは神楽ちゃんのこと嫌いなのかしら、と妙は問うた。声には出さなかったが、新八はすぐにその質問を否定していた。違う、嫌いだなんて、そんなわけが。
 きしりと、床の鳴る音が聞こえる。妙が戻ってきたのだろうかと、新八は先ほど開かなかった口を開いた。

「嫌いじゃないんです、姉上。僕は、神楽ちゃんのこと」

 一呼吸置いて、それから、

「好きで、好きで。……好きだから、我慢できなかったんだ」

 自分の言動がただの嫉妬からくるものだと認めた。
 たとえば沖田の存在。彼は会うたびに神楽と争いを繰り広げる。雑言の飛ばし合いだったり、取っ組み合いだったり、さまざまだ。お互いが気にくわないという感情からその行動に至るのだろうが、傍から見れば仲がいいとしか思えなくなる。本当に嫌いであれば進んで関わろうとしないものだ。それが、顔を合わせるたび条件反射のように向かっていくなんて、構いたいからじゃないのかと思ってしまう。現に新八はいつもそう思っていた。
 たとえば土方の存在。彼はどちらかというと銀時に突っかかる男であり、積極的に神楽へ接したりはしない人間だ。しかし土方は割と面倒見がよい人間で、時折、神楽への気遣いを見せたりもする。その場面を見てしまった時、新八はひどく焦った。なぜならば、普段見せない優しさに女の子がころっと落ちてしまわないとも言い切れないのだ。神楽がそうならないという保証がどこにある。あれ以来、小さくない不安が増した。
 たとえば桂の存在。彼は神楽を「リーダー」と呼び、少なからず敬意を持って接しているように見える。考えすぎだと言われればそれまでだが、相手はあの桂だ。完全にないとは断言できない。いつかその敬意が違う何かに発展してしまわないか、新八は気が気でない。
 そんな「たとえば」が積み重なって、負の感情ばかりが新八を苛め、そして神楽に八つ当たりをするという結果を招いた。なんでもないことを、さも神楽が悪いように言い。いわれのない言葉をぶつけられれば神楽が怒るのは当たり前だとわかっているのに。

「僕は、醜いんです。好きな子に八つ当たりしかできないような、ちっさな男なんです。侍なんて夢のまた夢くらい遠い位置にあるほど、僕は卑屈で、矮小で……」
「まったくアル」
「え……」

 妙とは違う、高い声が新八の耳を打つ。特徴的な喋り方と声、それが誰かなど、新八には問わずともわかった。わかってしまった新八は、そのまま固まってしまう。どうしてここに、姉上は、なんで君が。問うべき言葉も声にならず、ただ己の本音を聞かれたことの驚きで、氷のように固まったまま。
 きしきしと、少女が新八の元へ歩いてくる。逃げようにも固まった体は動いてくれず、新八はそのまま彼女を迎えることになった。

「か、ぐら、ちゃん……」
「姉御に会いに来たらここで待ってるように言われたネ。そしたらここに、会いたくなかった奴がいて」

 ずきりと痛むのは鉄拳を受けた頬ではなく、胸の辺りだった。言われても仕方のないこととはいえ、それでも痛い。

「急に何を喋り出すかと思えば、私に告白とか。あり得ないネ」
「……それは」
「言うなら姉御じゃなく、本人に言うのが男ヨ。だから新八はずっとダメガネのままネ」
「……神楽ちゃん」

 神楽は腰を下ろし、新八に視線を当てた。曇りのない目はまっすぐと、新八を見ている。気まずさは多分にあれど、それをそらすことはしたくない。新八もまた神楽を見つめ返した。

「仕切り直しネ」
「え?」
「ちょっとくらい男を見せたいなら、さっき言ったこと、もう一回私に言ってみるヨロシ。そしたら少しだけ見直してやるヨ」
「え、え。神楽ちゃん、それは」
「早くするネ。さっきの今で気が立ってるのに、聞いてやるだけありがたいと思いな小童」

 改めて告白しろと言われた上、小童ときたもんだ。気まずさも忘れてかちんときた新八だったが、ここで逃げるわけにも、もういかないと思った。覚悟を決めなければ。いつまで経っても向き合えなければ、本当に、侍にはなれやしない。それこそ、好きな相手の前に立つこともできないのだ。

「神楽ちゃん」
「ウン」
「……神楽ちゃんが、好きだ」
「そういう割には浴びせる言葉が罵り言葉だらけネ」
「いやそれはなんというか、やきもちが違う方向に傾いたというか……」
「言い訳する男は嫌いアル」
「……ごめん。嫌な思いさせて、ほんとに、ごめん」

 申し訳なさが膨らんで、新八はうつむいた。正面から告げなければいけないのに、反して体は下へ下へ。

「新八。上、向くネ」

 言われて、ゆっくり。すぐにうつむきそうになる顔を、なんとか上げる。そうすると同時に、胸の辺りに小さな熱が落ちてきた。

「かっ、神楽ちゃん!?」
「新八はちっさいネ。ほんとーに仕方のない奴アル」
「え、え、え、え、いや、その、これ、あれ、えええ……?」

 落ちてきたのは神楽の体、反射的に受け止めれば、神楽を抱きとめた新八の出来上がりである。

「仕方がないから、私が見ててやるヨ」
「……え?」
「どうしようもない奴だから、私がそばにいてやるネ」
「神楽、ちゃん」
「ダメガネでちっさくてどうしようもないけど、私、新八のことそんなに嫌いじゃないヨ」

 だからその言葉が本当なら、受け入れてやらなくもない。と、新八の腕の中で神楽は言った。
 聞き間違いだろうか、夢だろうか、夜兎の弱くない拳を受けて実は今あの世の近くにいたりするんだろうか、だからこんな都合のいい展開が繰り広げられているんじゃないか。
 新八は腕に力を入れた。これがもし本当なら、現実なら、たとえ幸せすぎた夢だとしても、この熱を離さなければ逃がさなければそれでいい気がして。

「神楽ちゃん。僕、神楽ちゃんが好きだ。大好きだ。僕はどうしようもない奴だけど、どうしようもないくらい君が好きだ」
「新八、苦しい。ちょっと離すネ」
「嫌だ、離すもんか。神楽ちゃんがいてくれるって言ったんだ。そんなこと言われたら、どこにも行かせたくなくなるじゃないか」
「……だったら、新八。もう少し優しくするがヨロシ」

 背中にそろりと回された手のぬくもりに、新八はほんの少し腕の力を緩めた。ひっつけていた顔を離して、それでもすぐそばにある神楽に目を当てる。
 そうして新八は、今日初めての笑顔を見せた。

「うん。神楽ちゃんが僕にしか興味がいかないくらい、優しくするよ」