< 健全から一歩進め >

 放課後。誰もいない教室の、教卓の中で。
 狭いところに隠れるのはなんか楽しいアルという神楽の言葉に、それって子供っぽいねと新八が笑う。次の瞬間、ごん、という音が教卓の中に響いた。

「痛ァァァ! ちょ、神楽ちゃん、ここ狭いから! 思いきり殴ったらその勢いで内側の壁にぶつかっちゃうから! 勘弁してよ!」
「だったら失言すんじゃネーヨ。ケンカ売ってんのかコルァ」
「失言って、僕らまだ子供だから別にいいんじゃないかと思……なんでもない、なんでもないです神楽さん」

 握りしめられた拳を前に、新八はすぐさま頭を下げた。すいまっせんほんとすいまっせんと繰り返される謝罪に、神楽は大きなため息をつく。お前はいつまで経っても弱腰アルな。ぽつりと呟かれた言葉は、注意していなければ聞き取れないほどの音だ。
 幸か不幸か、運よくか運悪くか。その声は、新八の耳にも届いていた。狭い教卓内ということもある、何より二人の距離があまりにも近すぎたということも、神楽の声が新八に聞き入れられた理由になるだろう。
 え、と新八は問い返した。エ、と神楽も聞き返す。二人の視線がばつりと合った。

「か、ぐらちゃん。今の、どういう……」
「どっ、どうもこうもないネ! 事実、そう私は事実を言ったまでヨ! 新八は誰に対しても、私に対しても弱腰アル。所詮ダメガネだから眼鏡であって、だから別にたまには男らしいところも見せたらどうなんだヨなんてちょっとも思ってるわけじゃなく……ッ」

 まさか聞かれるとは思っていなかった神楽は、新八の問いに慌てて言葉を突き返す。しかし混乱が彼女を占めているのか、吐き出されるものは理路整然とはしていなかった。わたわたと単語同士が衝突して、きちんと意味が掴めない。それどころか、隠しておきたいのだろう神楽の本音らしきがぽろりとこぼれている始末だ。
 耳に流れ込んでくる言葉に、新八は胸の高鳴りを覚えた。それから思わず、不埒なことに考えがいく。

(これってアレなのかな。も、もうちょっと積極的になってもいいってこと……?)

 新八はこれまでの日常を思い返す。思いを伝え、神楽もまた同じ思いを返してくれたのは記憶に新しい。しかしその後の進展は、まったくと言っていいほどなかった。某漂白洗剤も真っ青なほどの白く清い間柄に、思春期真っただ中な新八は悶々としていたものだ。かといって思うままに突撃する度胸も新八にはない。無理強いして神楽に嫌われれば、この世の終わりだ。姉である妙から絶縁されることよりも、もしかしたら耐えられないことかも知れない。
 だから新八は、これまで神楽に何も働きかけなかった。いいところで手を繋ぐくらいだ。それ以上なんて、夢のまた夢である。
 しかし、つい先ほど呟かれた神楽の言葉が、そんな新八の行動に対する不満だとしたら。
『新八は誰に対しても、私に対しても弱腰アル』
『だから別にたまには男らしいところも見せたらどうなんだヨなんてちょっとも思ってるわけじゃなく……ッ』
 つまり、「そういうこと」を求めてもいいのだとしたら。

(これで間違ってたら確実に嫌われるかも)

 けれど今の新八に、その懸念はあってなきに等しかった。抑えられるだけは抑えていたが、青少年の欲望はかくも大きいものなのだ。

「ととととにかく新八、お前はもうちょっと積極性というものを」
「わかった。思ったまま行動するよ」
「へ?」

 とりあえず、眼鏡を外すのを忘れてはいけない。新八は神楽の耳元へと、手を伸ばした。

「あ、ちょ、私の眼鏡返すがヨロ」

 奪った眼鏡は片手に収めて、代わりに顔を近づける。
 小さな音を立てて、新八と神楽のくちびるが合わさった。

教卓の中にいるのは神楽の唐突な思いつきです
ああいう狭い場所って一度でいいから入ってみたくなりませんか。……なりませんか