< 思い込んだら一直線 >

 見慣れた湯呑みの隣には、その日、見慣れない黒い物体があった。

「……お妙どの。これはなんだろうか」
「卵焼きです。今日は砂糖の量を間違えて、少し甘くなっちゃんですけど」

 にこにこと説明をする妙を目の前に、桂は再び皿に目を落とす。そこにあるのは、やはり黒い物体だった。ふむ、と考え今度は隣に目をやる。そこにいるのは、顔面蒼白の銀時だ。

「どうした、銀時。顔色が悪いぞ」
「……どうしたもこうしたも、お前はよく平気なツラしてられるな」
「ツラじゃない桂だ」
「誰もオメーの名前なんざ言ってねえ」

 げっそりと言葉を返す銀時に、桂はなんとなく状況を察した。
 妙の言うことが事実なら、おそらくこれは卵焼きなのだろう。ただしなぜか黒焦げ(なんて可愛いものじゃない、真選組の言葉を借りるなら暗黒物質と言ってもよさそうだ……なぜ真選組の言葉を借りてるか云々については割愛する。詳しいことは単行本の二十二か)

「わけのわかんねえことをぐちぐちと考えてんじゃねえ、進まねえだろうがいつまで経ってもよォォォ!!」

 スパコンとはたかれ桂の思考は遮られる。いきなり何をする銀時と睨むが、それ以上の形相で「いいからお前はこの可哀想な卵を食え」と怒鳴られた。

「食ってあの世に逝ってこい。そして二度と戻ってくるな」
「何を言うか銀時。俺がこの世を往生する時、それすなわちお前も世を儚む時だ」
「何が悲しくてお前なんぞとお陀仏しなきゃなんねーんだ! いっそここで俺がお前の人生の幕引き手伝ってやろーかァァァ!!」

 ったく、なんだって今日も来てやがんだ。ぶちぶちと愚痴る銀時は、いつにも増して不機嫌だった。原因は目の前の女性、先日知り合った妙の元へ、桂がよく出入りしているからだろう。なぜなら隣の銀時は、目の前の妙を憎からず思っている。だから違う男が妙に会うのを、よく思わないのだ。
 桂もそれをわかっていながら、妙の元へ赴くのをやめない。何より自分が妙に会いたいと思っているからだ。この道場へ来るだろう銀時をからかうためということもあるにはあるが。

「銀さんも桂さんも、会話を弾ませるのもいいですけれど、これも食べてくださいね。いつもより甘くなっちゃったけれど、昨日よりは上手にできたんですよ」
「へー……これが……?」

 卵焼きの味がどんなものか、身をもって体験しているのだろう銀時は蒼白だった顔をさらに青くさせている。一方、桂はそんな銀時を眺めた後でなんのためらいもなく黒い物体に手を伸ばした。銀時の目が見開かれるのを横目に、ぱくりと一口。
 もぐもぐごくん。

「どうですか、桂さん」

 にこにこと微笑む妙に桂は一言、

「うむ。たしかに甘めにできてるな」

 平然と告げた。
 嘘ぉぉォォォォ!? と道場内に響く叫喚は、妙の「うるさい」という言葉と拳によって沈められた。その間も桂は箸を進める。

「甘いがなかなかいけるぞ、お妙どの」
「よかった。自信はあったけれど、やっぱりそう言ってもらえると嬉しいわ」
「喜んでもらえたなら何よりだ。ああ、すまないが茶をもう一杯もらえるだろうか」
「じゃあ少し待っていてくださいね。今、新しいのと換えてきますから」

 上機嫌で台所へ向かう妙の後ろ姿を見ながら、いい光景だと桂は思った。この先、妻を娶ることがあるなら妙のような相手も悪くないだろうな、とそんなことまで考える。それを遮るように、重々しい声が横からかかった。

「おいヅラ、おまっ、平気なのか……?」
「? 平気とはどういうことだ。それより貴様は卵焼きを食わんのか? うまいぞ」
「マジかよ。お前、どういう味覚してんだ」
「普通の味覚だ。失礼な奴だな」

 眉根を寄せ、残りの卵焼きも口に入れる。信じられないものを見るような銀時の目は気になったが、気にしたところでどうにかなるわけでもない。桂は正面に向き直り、口の中の物を咀嚼した。
 今日は卵焼きもうまかった。いつかまた作ってくれるだろうか。その時はもう少し甘さを控えたものがいい。妙の作った蕎麦も食べてみたいと言ったら、彼女は聞いてくれるだろうか。
 考えながら、妙が茶を持ってやってくるのを桂は待った。そして銀時の反応から、おそらく奴にできなかったことを自分はできたという優越感に浸りながら。

くそ真面目な桂なら、「これは卵焼き」と一度でも認識したら「それは卵焼き以外の何物にもならない」んじゃないかなと
とか言ってますが、単にお妙さんの卵焼きを平気で食べてほしいなと思っただけです