< 時季外れの虫が二匹 >

 手を上げると袂が滑り落ち、手首から肘までがあらわになった。別段珍しいことでもないのに、こういう時ばかり目ざとく光るまなこには困ったものだと妙は思う。

「こんな時季に虫さされ?」

 言葉はぽつんと落ちる程度、そのくせ向けられる視線は痛いほど。思わず隠しそうになるのをこらえるのは、結構な忍耐力が必要だった。

「……ええ、まあ。虫にだって、時季外れなものはいますから」

 気づかれないようにゆっくり息を吐いて、妙は銀時にそう答えた。対する銀時は、ふうん、と面白くもなさそうに声だけを寄越す。おそらくは、妙の返答を信じていないのだろう。あるいは、その言葉の真意を正確に捉えたのか。

「なんつーか」

 また一つ声が落ち、妙の手首が銀時に掴まれる。ぴくりと妙の肩が張ったが、銀時がそれに構うことはなかった。

「らしいっちゃあ、らしいな。ヅラだろ、これ」
「えっ……」
「その顔はアタリだな。いやあ、俺も冴えてるねえ」
「……なんでわかるんですか」

 付き合いだけは無駄に長いからな、と銀時は笑う。妙は観念したようにため息をついた。隠すつもりじゃなかったんですが、と口を開いたが、遮るように声が重ねられた。

「どっちを?」
「どっちって」
「ヅラとデキてることと、このあざと。どっち」
「……、両方です」
「ふうん?」

 笑みを含んだ銀時の吐息に、妙は眉根を寄せる。確かに隠すつもりはなかったが、かといって、こうも簡単に見破られるつもりもなかった。あざが見つからなければ、きっと妙から言うこともなかっただろう。結局のところ、隠すつもりであったことを見透かされているようで、気まずくなった。

「バレついでに言っといてやるが、そのあざ、かなり前から知ってたぞ」
「え……!?」

 これにはさすがに驚き、妙は声を上げた。その様子に銀時は苦笑している。

「そりゃ最初は普通に虫さされかと思ってたんだけどな。いつまで経っても消えないし、薄くなったかと思った翌日にはまた濃いあざつけてるしで、そりゃ普通じゃねえって気づくだろ」
「そ、そう、だったんですか……」
「まあ、手首なんて誰もが見るようで見ない場所だからな。よっぽど注意してねえとわかんねえと思うぜ。その点じゃ、案外いい場所だよな」

 真面目なあいつらしい。妙の手首をまじまじと眺めながら、感心したように呟いている。そこで、未だに自分の手首が取られていることに気がついて、妙は解放を求めた。

「銀さん。そろそろ」
「……どーいうつもりだろうな」
「え?」

 銀時の、声の調子が落ちる。黒曜の目をまたたかせ、妙は彼に視線を当てた。銀時もまた、妙に目を当てている。

「牽制のつもりにしちゃ、目立たなすぎる。お前の迷惑を考えたんだろうが、だったら最初からしなけりゃいい。もしくは、自分しか見られないところにすりゃ、それはそれでイイもんだが」
「銀さん……」
「なっ、なんだよその目はっ。言っとくがな、世の男なんて全員そういうもんなんだからな、俺だけがそういうイヤらしい人間とか思うなよっ」

 慌てふためくさまがいっそう怪しい。半目で見つめ続けているとそらされた。とにかく、と銀時は話を戻す。

「気づかれない人間には気づかれないが、勘のいい人間にはすぐにわかる。ヅラはどんなつもりで、ここに痕を残したと思うよ?」
「どんなって言われても、すぐにわかるわけ……」
「……まあ、お前ならそうだろうけどな」
「銀さんはなんだと思ってるんですか? その口調だと、わかってるみたいですけど」

 質問を返すと、銀時の口が噤まれた。代わりにそむけていた視線を妙に向け直し、じっと、貫くように見つめてくる。
 戸惑い、妙は呼びかけようとした。しろがねを音にしたところで、続きは一瞬、途切れてしまう。

「……さ、ん?」

 噛みつかれるような痛み、それ以上に訪れた驚きに、ただ呆然とするしかできない。驚きに開かれた目には、微笑みとも無表情とも取れる銀時の顔が映っていた。

「俺は、誇示じゃねえかなと思ってる」

 落とされた言葉は妙の耳を打ち、だからこれは宣戦布告な、と続いてそんな音を流し込んでいく。
 白い手首に赤いあざ。存在を主張するように、二つ、並んでいた。