< 大佐の好きなもの >

 口を開くなり大きなため息をついたナタリアを、ジェイドは不思議そうに、そして面白そうに眺めた。

「どうかしたんですか、ナタリア」
「……」

 ナタリアは何も答えず、ただジェイドに視線を当てただけだ。憂い顔を隠すことなく相手にさらしているのは、ナタリアにしては珍しい。

「ナタリア?」
「……料理が」

 再び問いかけると、彼女はぽつりと言葉を発した。その単語一つでジェイドはすべてを悟る。おそらくはまた失敗をしたのだろう。ナタリアの手料理はお世辞にも上手とは言えない部類なのだ。破壊的と表現しても差し支えはなかろう。しかし、それを正直に言えばナタリアが激怒することは目に見えているので、ジェイドは何も言わずにおいた。

「また失敗したんですね」
「失礼ですわね、まだ作っていませんわ」
「おや、それは申し訳ない」

 肩をすくめて謝るが、ナタリアの表情は優れない。何やら本格的に気落ちしている彼女に、ジェイドはかける声の調子を落とした。

「何か急にお困りの事態でも発生したんですか? 私ができる範囲でよければ、お手伝いも辞しませんが」

 どうします、とジェイドはナタリアに語りかける。そこでようやく、硬い表情がやわらいでいった。

「では、大佐。わたくしの料理の腕が上達するまで味見を」
「謹んでお断りします」
「大佐! 先ほどの言葉を撤回するおつもりですか!」

 最後まで言わせずに言葉を遮断したジェイドに、ナタリアは当然のごとく怒鳴る。しかしジェイドも言い負かされるだけの人間ではなく、

「私は、私ができる範囲、と言いましたよ。あなたの料理は死人を出してもおかしくはない効力です。いくら私とはいえ、あなたの料理には敵いっこありませんよ」

 はははと笑いのけていた。
 喧嘩を売っていますの、とナタリアが弓を構える。そんな恐ろしいことはしませんと、ジェイドは槍を構えた。
 一触即発の空気は、しかしジェイドがかき消す。冗談はここまでにしましょうと、いつもと変わらないような穏やかな口調だ。それに気をそがれたのか、ナタリアも構えを解いた。

「……本当に、困っていますのよ。いつまで経っても上達する気配は見えませんし。わたくし、頑張っているつもりですのに……。まだ、何か足りないのでしょうか」
「人には得手不得手というものもありますしねえ。まあ、そんなに思い詰めなくても、そのうちなんとかなるんじゃないですか?」
「気楽に言ってくれますわね」

 じろりと睨むナタリアに、ジェイドはくすりと笑う。

「あなたは王族でしょう。料理など、料理人に任せればいいではありませんか」
「それでは、意味がありませんわ。わたくし自身が上手になりたいと思っているのです」
「……それなら、練習するしかないですね」
「ですから、大佐が手伝ってくださればいいのです。あなたのお好きな物を作りますから、とにかく味見なさって」

 ジェイドはすぐに断らず、ふむ、と悩みのポーズを取った。今度は受けてくれるのだろうかと、ナタリアは期待を膨らませる。

「私の、好きなものですか?」
「ええ。おっしゃってくだされば、なんでも作りますわ。遠慮なさらずに言ってください」

 ナタリアの言葉を確認し、そしてジェイドはにっこりと笑った。

「では、あなたを」
「は……」
「あなたをいただきましょう」
「……大佐?」

 ジェイドに負けじと、ナタリアも微笑んだ。笑みをかたどっているものの、その口元は引きつっている。

「わたくし、冗談は嫌いですのよ?」
「気が合いますね。私も冗談は嫌いですよ」
「……ぬけぬけとおっしゃるのね。もう、とにかく今は、あなたの好きな物の話をしているところでしょう」
「ですから、先ほどからあなただと言っているでしょう? ナタリア」

 にっこりと、ジェイドは笑みを深くした。微笑み続けていたナタリアは、そこで初めて不安を覚える。このままだと危ない、本能が危険を察した。

「そ、そうですわ。民のことを考える王家の者として、相手方に無理を言うものではありませんわね。大佐ができないとおっしゃるなら、ルークかガイにでも代わっていただいて……」
「おやおや、ナタリア。私は『好きなもの』なら食べてさしあげると言っているでしょう。手伝ってあげるのです、人の親切くらい素直に受けたらどうですか」

 わざわざ他の男どもに頼まずともよいでしょうそれともそれは私にやきもちを焼かせるためですか、意外と可愛いんですねナタリア。
 息継ぎをどこでしているのか、すらすらとジェイドは述べる。笑顔を崩すことのないその顔が怖く、ナタリアは笑顔を消して後ずさりを始めた。

「どこに行くんですか、ナタリア。さあ、言ったことはやってもらいましょうね」
「は、離してくださいっ」
「なぜです? 料理の腕を上げたいのでしょう、ならば練習は積まなければ」
「で、ですが、あなたの言葉はどう考えても料理云々から外れているような気がしてなりませんわ!」
「……。いやですねえ、そんなことありませんよ」
「その沈黙が信用できません!!」

 警戒をあらわにして叫ぶナタリアに、ジェイドはやれやれとため息をつく。仕方ありませんねという呟きに、最初は諦めてくれたものだと思っていた。しかし安心したのも束の間、次の瞬間ひょいと抱え上げられる。

「た、大佐!?」
「運んであげますから大人しくしていてくださいね。ああ、暴れると落ちますよ」

 バランスを崩しそうになって、ナタリアは咄嗟にジェイドの肩を掴んだ。その拍子にお互いの視線が合う。明るい緑色の目に、いつもは冷たいはずの赤い目は柔らかく映っていた。
 ナタリアの頬が淡く染まる。ジェイドはそれを満足そうに眺めて、キムラスカの王女だけに聞こえる言葉をそっとささやいた。

いただきます