< カタクリ >

 下向きに咲いた桃色の花を見つけ、ルークは足を止める。それに気づいたのか、一緒に歩いていたナタリアが声をかけた。

「ルーク? どうかなさったの」
「え、ああ、いや……」

 数歩分開いた距離をすぐに詰めて、ナタリアがルークの隣へと身を落ち着ける。彼女の行動を認めた後で、ルークは道端に咲いた花を指さした。

「花ですわね。下に向いて咲くなんて、珍しいですわ」
「これ、カタクリっていう花なんだ」
「そうなんですの? よくご存じですわね、ルーク」
「いつだったか、ペールに聞いた覚えがある。まあ、その時は大して気にも止めてなかったけどな」

 ふっと小さく笑って、ルークは屈み込んだ。倣うようにナタリアも腰を落とす。

「桃色かと思っていましたが、近くで見ると紫がかってますのね」
「日に当たると、色合いが柔らかく見えるな」
「まあ」

 ナタリアの感嘆詞に、ルークは視線だけを向ける。心から驚いたような声音が気にかかった。
 果たして彼女は、ルークからそんな言葉を聞くなんて、と感心というよりは唖然とした様子を見せる。ルークは、おい、と怒りをこめた声を落とした。
 そんなルークにナタリアは微笑みながら言う。

「けれど、本当ですわね。柔らかい色合い。今のルークみたいですわ」

 思わぬ言葉に驚いた。「やわらかい」という表現は、ルークにとって初めて受け取るものだ。言われ慣れない形象は、ルークを戸惑わせる。

「俺が?」
「ええ。以前と比べると、柔らかくなりましたわ。雰囲気も、言葉も」

 確かに以前はもっと刺々しかった。軟禁されていたこともある、記憶がなかったこともある、いろいろなことをすべて他のせいにして周りが見えていなかったあの頃は。
 その過去を経て、ナタリアはルークに柔らかくなったと告げた。昔よりは変われたと思うが、彼女もまた変わったと思ってくれているのか。

「……カタクリの花は、さ」
「え?」

 以前ペールから聞いたこと。そこまで気に止めていなかったはずの出来事を、今なぜ鮮明に思い出せたのだろう。

「花言葉に、初恋、ってのがあるんだ」

 記憶は脳のどこかへしまい込まれた。必要があったから、今こうして引き出されたのだろう。いい方向へ変われた自分への褒美のような、そんなことを考える自分が少しおかしい。
 けれど、そんな自分は嫌いではない。

「俺の初恋は、ナタリアだよ」
「……ルーク?」
「口うるさくて、記憶を思い出せとしか言わない、嫌な女だとずっと思ってた。でも、ナタリアが俺の婚約者であること、悪くないって思ってる時が確かにあったんだ。俺に笑いかけるナタリア、外の話をするナタリア。うるさかったけど、楽しくもあった」

 正確には「俺」じゃなかったけど。ぽつりと付け加えれば、ナタリアが悲しそうな顔をする。酷なことを口にしている自覚はあったが、ルークは止めなかった。傷つくのは自分も同じ、お互い様だ。少しくらい意地悪したっていいだろう。

(真実を知ってから、ナタリアの思う先は全部あいつに取って代わったんだからな)

 これも正確には、ルークが取って代わったのが先だ。すべての原因は自分が生み出されたこと、けれど今も自分はこうして生きている。その意味が、あるのだ。

「うまい具合に、カタクリには『嫉妬』って花言葉もある。ナタリアへの思いを自覚してから、ずいぶん妬いたもんだぜ、俺も」
「ルーク……」
「初恋、嫉妬。あと、寂しさに耐えるってのもあったかな。カタクリは今の俺を的確に表現してる花だ。それと色合いか? ナタリアが言ってくれた、柔らかいっての」

 立ち上がって手を伸ばす。行こうぜと声をかければ、ためらいながらもナタリアが応えた。
 しばらく黙したまま歩いていたが、ふとした瞬間ナタリアが口を開く。

「やきもちを焼いてたんですのね。初耳ですわ」
「そりゃ、さっき初めて言ったんだから、当たり前だろーよ」

 改めて言われると少し恥ずかしい。照れ隠しに顔をしかめたが、顔は赤くなっていることだろう。
 なおもナタリアは言葉を重ねる。

「寂しさに耐えるというのも聞きましたわ。寂しかったんですの?」
「いや、その……だからな、ナタリア」

 これはなんの羞恥プレイだろう。頬に集まった熱は、上がっていくばかりだ。

「どうしましょう、ルーク」
「何がだっ」

 これ以上何を言われるのだろう。声を張り上げながら彼女を見れば、どうしたことか真っ赤な顔のナタリアがいる。

「顔が熱くて仕方ありませんわ」

 蒸気が出そうなほどの紅潮は、おそらくルークのそれよりも強い。つられるように熱を上昇させたルークは、

「だ、大丈夫、だ」

 両手を伸ばして、

「俺も、赤いから」

 ナタリアの頬を包んだ。

「一緒なら、気にならない」
「ルーク」
「……多分」

 最後の呟きは余計だったろうか。羞恥で固まっていたナタリアは、多分、の一言で破顔した。