< 口は災いの元 >

 ノックの音に反応するよりも早く、ハロルドの部屋の扉が開いた。

「ハロルド、すまないがこの書類を……」
「ディムロス、」
「!! す、すまんっ」

 開かれた扉が、またたく間に閉められる。一瞬の出来事に、ハロルドは珍しく呆気にとられた。それから時間をかけずに気を取り直し、衣服を整える。おそらくはまだ扉の前で硬直としているだろう男に、声をかけるべく。

「ディムロス、もういいわよ」

 こん、と、室内から扉を叩く。同時に外の空気が動き、ややあって再び扉が開いた。顔をのぞかせたディムロスの表情は、いつにもなく困惑の色を見せている。ハロルドは笑った。

「屈強な兵士たちを束ねる熱血中将ともあろうものが、女の着替え姿覗いたくらいでこうも弱々しくなるもんなのね」
「のっ、覗いたとは人聞きが悪いぞ、ハロルド!」
「でも、見たんでしょ?」
「そ、それはその……、ちゃんと確かめなかった俺にも非はあるが……」
「兄貴にバレたらどうなるかしら。実験してみるのもいいわよね」

 ぐふふ、とハロルドは笑みを深めてみせる。ディムロスの顔が、今度は青く色づいた。声にこそ出てはいないが、それだけはやめてくれ、と強く言っているように見える。
 ハロルドは少し考えた。実験をしてみるのも面白そうだ。しかし、言い方一つで同僚をも滅ぼしかねないカーレルが出来上がってしまうかも知れない。こんな時に主戦力を失うのも憚られる(しかも原因が自分となるのは避けたいところだ)し、浮かび上がった実験材料をハロルドは手放すことにした。

「ま、兄貴はともかく私は気にしてないから、ナシにしといてあげるわ」
「感謝する」

 礼を述べたディムロスが、ハロルドへと目を当てた。何かを問うような視線に、ハロルドは首をかしげる。なに、と問いかけると、

「気にして、ないのか……?」

 と、それはそれは不思議そうな問い返しがハロルドへ向けられた。
 沈黙がその場に落ちる。
 ハロルドはディムロスを見つめ、視線を外し、額に手をつき息を吐いて、またディムロスへと視線を戻した。

「気にしてないわよ。見られたって言っても、背中くらいだし」
「だが、前だろうと後ろだろうと、素肌は素肌だろう。現にはっきり見えたぞ」
「はっきり?」
「着替えていたからか、下着を着けていなかっただろう。背中が丸見えだった。出入り口のほうを向いていなくてよかったな」

 思わぬ言葉にハロルドは言葉を失った。ディムロスはハロルドの様子に気づいていないようで、先を続けている。
 至極真面目な顔で、そのくせ淡々と。

「一つ思ったんだが」
「……なに」
「綺麗な肌をしているな、ハロルド」

 服を着ているとはいえ、雪上に正座をすれば冷たいに決まっている。冷たいというより、痛い。その上、雪も降り続いているのだ。このままずっとこうしていれば、凍え死んでしまうのではないだろうか。っていうか死ぬ。シャレにならん。どうしよう、目の前にお花畑が現れた。あり得ないほどの花がわんさかと咲き誇っているんですけど。ああもうだめだ、幻覚まで見えてきてる。まだ戦は終わってないってのに、ここで死ぬわけにはいかんってのに。

「ディムロス」

 思考以上に意識が危なくなったディムロスへ、雪よりも冷たい声がかかる。幻覚へ手を伸ばしかけていたディムロスは我に返り、振り仰いだ。すぐ目の前にハロルドが佇んでいる。腕を組んで、ディムロスを見おろしていた。
 その表情は硬い。

「反省は?」
「……しました」
「本当に?」

 目を細めるハロルドへ必死に頷くと、やがて彼女は張り詰めていた空気を散らせた。それから、部屋へ戻るように促す。ようやくお怒りが解かれたのだと、ディムロスもまた張っていた力を抜いた。

「まったく。ほんとーに、とんだ中将様だわね」
「その件については、申し訳ないとしか言いようがない」
「そうよ、反省しなさいよ、反省!」

 肩を怒らせるハロルドではあったが、ディムロスは口元を緩めざるを得ない。冷えた体を温めるために、室内は常より温度が高くなっていたのだ。
 鉄槌は結構なものだった(それもディムロスが悪いのだが)。だが「やりっぱなし」ではないハロルドの行動に、微笑ましさを覚える。マッドサイエンティストと呼ばれてはいるものの、ハロルドはこうしたフォローを忘れない。ディムロスは、ハロルドのそういったところを気に入っていた。

「……何笑ってんのよ」
「いや」
「言っておくけど、笑い物はあんたのほうだったのよ。雪上で一人正座するあんたを、誰も彼も息をひそめてこっそり窺ってたわ。さすがに、正面から笑う猛者はいなかったけど」

 そのことには、ディムロス自身も気づいていた。寒さで思考がおかしくなったとはいえ腐っても軍人、周りのただならぬ気配は感じ取れる。
 しかしそれも、罰の一つとして考えればどうということはなかった。

「なあ、ハロルド」
「何よ」
「気にしてないと言った割には、俺の発言で赤くなったな」
「……!」
「お前のそういう表情、滅多に見られないから眼福だ。白い肌も目にできたしな」

 室内の暖かさに、気持ちも緩んだのだろう。つい、ぽろりと、そんなことを言ってしまった。
 今度は氷上での正座、という仕打ちを受けたディムロスは哀れ、翌日には風邪をひいたらしい。

むっつり中将。むっつりというか変態中将
というかごめん中将。マジでごめん中将。むしろすみませんハロ様