< Pecteilis radiata >

(少し厚めのページを捲った先へ飛び込んできたそれに、しばし目を奪われた。口が開いて、声にならない音がこぼれる。叶うなら。もしも願いが叶うのならば。のどから手が出るほど欲しいと思って、けれど手に入れたところでどうにもならないとため息をついた)

 面白い植物を見つけたと言ったのは、カイルだった。花だろうなということはわかっても名前まではわからない、だから知らないかと、期待のこもったまなざしで見つめられたのがつい先ほどの話。

「……そんなに睨みつけるな、うっとうしい」
「あっ、ひどい! 睨みつけてなんてないし、しかも『うっとうしい』って! せめてまぶしい、って言ってよ、ジューダス」
「なぜその表現を選んだのか甚だ疑問だが、まあそんなことはどうでもいい」

 どうでもいいなんてこれまたひどいよと、わめく少年を無視したい気持ちも多分にあった。だが、少年の相手をしなければこの騒がしさから逃れられないことも知っていた彼は、ため息をつきつつ先を続けた。何をどこで見つけたのか、現物を見ないことには何も答えられない。

「こっちだよ、こっち。ちょっと奥まった場所にあってさ。おれが見つけたのも多分すごい偶然なんじゃないかな」

 そこは、普段なら行こうと思うような道筋ではなかったとカイルは言う。なんとなく向かったところへ、それはあったのだと。

「白くてね、なんだか鳥が羽を広げてるみたいな花なんだ。おれ、ああいうの一度も見たことなかったから、すっごいどきどきして」

 カイルはかなり興奮しているようだ。少年がここまで気分を高揚させることも、珍しくないとはいえ少し気になる。何せ、対象は花なのだ。カイルが反応することといえば、もっと「英雄」に関したものだろうとジューダスは思っていた。
 道案内を任せ、立ち並ぶ樹木の中を行く。森に自生したものかと思えば、カイルはさらに先へ進んだ。迷いのない足取りを追って森を抜ければ、開けた場所に湿地が広がっていた。

「こんな場所があったのか」
「うん。おれもびっくりしたんだけど、もっとびっくりしたのがあっちにあるんだ」

 走っていくカイルに、転ぶなよ、と声をかける。聞こえていないのか、カイルは走る速度を緩めなかった。やれやれとため息をつきながら、後を追う。先ほど聞いていた「白い」という言葉通り、カイルが向かおうとしている場所にちらちらと白い小さな何かが見えた。

「これこれ、これだよ! ジューダスは見たことある?」

 指をさして高々に告げたカイルに、ジューダスは一瞬だけ息を呑んだ。
 しかし、すぐに動揺を消して、少年の望むべく答えを口にする。

「……鷺草だな」
「サギソウ?」
「どちらかというと東国に分布する植物だと思っていたが、まあ、どこかから運ばれたりなんなりしたんだろう。湿地性だから、環境が適してうまく育ったのかも知れない」
「なんでサギソウっていうの?」
「お前がさっき言った通りだ。その白い花が、白鷺という鳥が翼を広げたさまに似ているから『鷺草』と名づけられた」
「へええ、そうなんだ。すごいね、やっぱりジューダスって物知りだ!」
「いや……」

 否定しようとしてジューダスは口を閉じた。余計なことは言わなくてもいいだろうという判断だ。特に他人に聞かせるようなことでもなし、取るに足りない内容だと。

 夢でもあの人を想いたいと言った女の言葉が頭をよぎる。
『鷺草の花言葉だそうです。ご存じでしたか?』
 知らない、と首を横に振った。植物の存在を知ったのも初めてだと。そして、誰か想う相手がいるのかと、わざわざ聞くべきではないことを尋ねてしまった。
 女は、ええ、と頷いた。それほど想っているのかと、どうしてか口は止まらない。
『少し語弊があるかも知れませんわ。その方は、……その方は、もう』
 夢で「しか」想えない相手なのだと、言葉が返ってきた。

 目を開ける。辺りは暗く、床に入ってまだそう時間が経っていないことをジューダスに知らせた。

(夢か)

 かつての出来事を再生するのも夢だというが、その夢は確かに過去の再生そのものだった。以前の出来事、ずっと前だったようなつい最近のことだったような、曖昧な記憶ではあるが。
 それは、今日のカイルのように偶然だった。ストレイライズ大神殿の一室にあった書物庫で、なんとはなしに手にした図鑑、そこへ通りがかった四英雄の一人。すべてが偶然の産物で、その偶然はとても不幸だった。
 開いたページに、彼女は瞠目していた。ジューダスはそれを見逃してしまえず、問いかけてしまう。
 「これ」がどうかしたのか、と。
 フィリアは、悲しげに笑った。
『以前、調べ物をした際、その花言葉に目を奪われたんです』
 そしてその花を望んだ、と続けた。近くにあれば、花言葉が実現できる気がした。しかし、いざ実物が手に入ったところで、どうなるわけでもない。そう考え直して悲しくなった、とも。
 夢でしか想えないという現実に。
 夢で想ったところで還ってくるわけでもないという現実に。
 夢で想うことなら許されるのではないかと、けれど夢から覚めた時に罪悪感に押しつぶされてしまうのではないかと。
『哀悼が罪だとは思いません。けれど、生者が死者に拘泥することは果たして正しいのかと、考えてしまうんです』
 人を導く立場にある人間が前を向けない感情を抱えることに、彼女は迷っていた。せめて夢ならば、しかし夢から覚めれば現実が待っている。
 フィリアは、想いたいと言った。想っているとは言っていなかった。

(あいつの思慕は、おそらくずっと奥に閉じ込められたんだろう)

 想わないよう、魂が安らかであれと。死者に望むのは安息と、来世。それが司祭である自分の役目なのだと、きっと彼女は決めたのだ。
 その事実はジューダスに少しの喜びと、少しの悲しみを覚えさせた。

鷺草:夢でもあなたを想う
地形とかなんで和名なのかとかロニとリアラはどこ行ったとか突っ込みどころが多くてすいません

「彼か彼女か、~」の真逆の話にもなるかも知れないです。
リオンに執着した場合と、執着することに罪を覚えた場合。どっちにしたところでつらいことには変わりないという(なんてこった)