< 坊ちゃんの憂鬱 >

 何か知らんがうるさい奴がやってきた。

「リオン、リオン! 見てくれ、ほらほら!」
「……」

 声の調子からして癇に障る奴だ。素直に見る気がしない。というか、この男に対して素直な態度など取りたくない。そもそもこの僕に「素直」なんて言葉、当てはまるわけが……。

『坊ちゃん、坊ちゃん。ちょっとこれは見といたほうがいいんじゃないかと思いますけど』

 シャルの言葉を怪訝に思いながら、しぶしぶ振り向く。するとそこには、お下げ姿のスタンがいた。奴はなぜか嬉しそうに、結わえている部分を見てくれとばかりに持ち上げている。

「……一応、聞く。なんだそれは」
「え? みつあみだよ。なんだよリオン、知らないのか?」
「この愚か者が、それくらい知っている! そうじゃなく、なぜ、お前は、そんな髪型をしているのか、と聞いているんだ」

 はああと盛大なため息をついてやるが、スタンは目をまたたかせただけだ。これみよがしな嫌みすら通じないらしい、まったくもって面倒な奴だ。
 言い直した言葉でようやく意味がわかったらしいスタンは、現在に至るまでをとても簡潔に述べた。

「フィリアに結ってもらったんだ」

 ……なんだと?

「スタン。もう一度言ってみろ」
「フィリアに結ってもらったんだ」

 言われた通り、スタンは同じ言葉を繰り返した。一字一句たがえることなく、それはもう綺麗に。

(……腹が立つ)

 一字一句を綺麗にたがえることのない正確さにも苛立ちは募ったが、それ以上に「フィリアに」、「結ってもらった」というところが気に入らない。

「さっき、フィリアが自分の髪結ってるとこ見かけてさ。すごいなーとかいいなーとか言ってたら、やりましょうかって言ってくれたんだ」
「……ほう」
「フィリアって髪結うのうまいよなあ。このみつあみもすぐにできてさ」
「……ほお」
「そうそう、俺の髪って見た目ぼさぼさだけど、その割に手触りはいいんだって。フィリアが言ってた」
「…………」
「で、他にも……あれ? リオン?」

 きょろきょろとスタンが辺りを見回している。それはそうだろう、坊ちゃんことリオンは喋りまくるスタンを置いてその場を去ったのだから。……まあ、不本意なことにぼくも置いて行かれたけど。

『以上、代弁ピエール・ド・シャルティエでした』
「へー、シャルティエってピエールって言うんだ。おれはスタン・エルロンって言うんだよ」
『え、あ、うん、どうもご丁寧に……』

 そんな二人のやりとりを知るはずもない(知る必要もない)僕は、すたすたと目的の場所へ足を進めていた。

(苛々する)

 すたすた。……というよりはいささか足音が荒くなっている。無理もない。あいつの言葉はあまりにも、僕の冷静な思考をかき乱した。とにもかくにも、腹が立ってしょうがない。

「フィリア!」
「えっ、はい!?」

 ばん、と力任せに扉を開くと、肩を跳ね上げたフィリアが目に映った。フィリアにしてみれば、理由もわからないまま怒鳴られたということだ。内心でひどく不安になっているだろう。

「リ、リオン、さん?」
「……」
「あのう……?」

 吐き出したいものをぐっとこらえる。怒鳴るのは簡単だが、それではあまりに自分勝手だとも思うのだ。というか自分勝手以外の何物でもないだろう。

「……スタンの、髪を結ったそうだな」
「え? あ、はい。あの……変、でしたか?」
「変というか、そういう問題でなくてだな」
「では、どういう……あ、もしかして」

 ぽんと両手を合わせて、フィリアは顔を輝かせた。僕の言わんとしていることに思い当たったのだろうか。しかしフィリアの場合、見当違いな答えしか出てこなさそうだ。

「リオンさんも結ってみたいということですか?」

 やはり。

「違う」

 ふう、と疲れたような息がこぼれた。フィリアはきょとんとし、それから少し不安そうな表情をする。
 仕方のない奴だと思うのは、いつもこんな時のような気がする。僕の様子を窺って、不安になったり喜んだり。自分の表情一つがフィリアの表情を変えているのだという事実は、実は嫌いじゃなかったりするのだ。

「フィリア」
「は、はい」
「過ぎたことはもういい。ただ」
「……ただ?」

 フィリアの手をそっと取る。それと同時に、頬を染めるフィリアを可愛いと思う。しかし今、自分が握っている手があの男に触れていたかと思うと、はらわたが煮えくり返りそうだ。
 だから、

「僕以外の男に、あまり触れないでくれ」

 それは絶対に無理だとわかっていても、言わずにはいられない願い事を僕は口にした。