< ステップバイステップ >
ある時リオンが扉を開けると、目の前にフィリアがいた。おそらくは部屋から出ようとしたのだろう。その部屋に入ろうとしたリオンと、ちょうど鉢合わせたのだ。
「ああ、すまないフィリ……」
珍しく素直に謝ろうとしたリオンに対して、フィリアの反応は普通ではなかった。リオンの言葉を遮るほどに、勢いよく後ずさったのだ。その反応にはリオンだけでなく、同室にいたスタンも驚いていた。
またある時フィリアが落としたボトルのそばで、フィリアの手とリオンの手が触れ合った。ボトルはリオンの近くに転がってきたので、拾おうとしたのが原因だろう。
「ああ、すまないフィ……」
これまた珍しく謝ろうとしたリオンだったが、すべてを言い終える前にフィリアの姿は消えていた。ただし、フィリア自身も謝罪は忘れていなかったようだ。ごめんなさいという音が遠くのほうで低く聞こえる。
「おお、ドップラー効果」
感心したようなジョニーの声が、その場に落とされた。
そしてまたある時フィリアが転びそうになったのを、近くにいたリオンが防ごうと動いた。フィリアを難なく受け止め、ことなきを得たフィリアからすみませんと謝られる。今度は逃げられなかったとひっそり安堵したリオンは、続くフィリアの深謝に構わないと答えようとした。
が、
「なーに二人で抱き合ってんの、昼間っから意外とやるわねー」
という余計な野次によって、感謝の言葉が悲鳴に変わる。そしてこれまでと同じように、逃げられた。
いろいろと面白くなかったリオンは、苛立ちを隠しもせずに、怒りのまま電撃スイッチに指を伸ばした。再びその場に悲鳴が響く。しかしリオンの苛立ちはあまり解消されなかった。
そんな出来事を繰り返せば、フィリアがリオンに対してのみおかしいことなど明かも明らかだ。さすがにこの状態を続けることに嫌気が差し、リオン自らフィリアに解明を求めた。最近は目を合わすたび逃げられるようになってしまったので、フィリアを捕まえるのにはかなりの時間と労力を要することになった。
(なんで僕がこんなことをしなければならないんだ……)
面倒だとリオンは思う。しかし、かといってこのままでも面倒なのだ。ヒューゴからの依頼という名目上、共に行動をしなければならない身の上である。勝手に離れられれば、ヒューゴに何か言われる可能性があるのだ。それを避けるためにも、早々に解決するべきだという結論を出した。
『それって、もしかして建て前じゃないんですか?』
からかうように揺れたシャルティエの言葉をリオンは無視する。ひどいですよ坊ちゃーんという言葉も同様に。
「おい、フィリア」
やがて目的の人物を見つけ、リオンはその名を放った。呼ばれたフィリアの肩がびくりと震える。声で誰か気づいたのだろう、フィリアは振り向こうとしない。相変わらずの態度に苛立ちが募る。
「こちらを向け」
やや荒々しい声でリオンが続けた。フィリアは躊躇していたようだが、やがてゆっくりと振り向く。怯えた表情を隠すように、顔はうつむけられていた。そのまま、何かご用でしょうか、とぼそぼそ呟く。
「人と話す時は目を見ろ」
「……」
芳しくない反応にため息をつき、リオンはフィリアに近づいた。咄嗟に離れようとするフィリアの腕を取り、自らのほうへと引く。
「僕はお前に何かしたのか」
たった一言のそれは、思いのほか強く放たれた。フィリアの目が見開かれる。リオンの目も、かすかに開かれていた。
「何も、していません」
「……では、どういった理由だ」
驚くフィリアの顔が直視できず、リオンが顔をそむけた。つい先ほど、人の目を見て話せと言ったばかりなのにと、リオンは自分の行動に少し後悔する。
不意に、掴んだ腕から緊張の糸が切れたことに気づいて、そらしていた目をフィリアに戻した。
「リオンさんは悪くありません。わたくしが、未熟なのですわ」
薄紫の目をリオンに当て、弱く震えながらもフィリアは言葉を告げる。その言葉の意味がわからず、リオンは首をかしげた。するとフィリアの頬が淡く染まる。
「リ、リオンさんを見ると、平静ではいられないのです。わけもなく緊張してしまって心臓の音が騒々しいほどで、いつも通りにしようと試みるのですが、リオンさんがお近づきになるとどうしようもできなくて……」
精進が足りないのです。言葉を重ねるたびに増していく朱に、リオンはどう反応すればいいかわからなかった。ただ驚く。驚くままに言葉を拾い上げて、それを砕く。理解が及ぶように、自分がわかるように。
「リオンさんにご迷惑をかけていることは、重々承知しております。ですがわたくしはまだ……リオンさん?」
「……」
「あの、リオンさん? お顔が赤い、ですけれど……」
先に赤くなったのはお前のほうだ、とリオンは言おうとした。しかし言葉は続かない。理解したことが、頭の中でぐるりと回っているだけだ。
「あの、もしかして具合でも悪いのでしょうか」
それまでうろたえていたフィリアの口調が、すぐに心配そうなものに変わった。こうした切り替えが簡単にできるのは、少し羨ましい。
「……別に悪くない。それより」
「え?」
「精進するのはいいが、だからといって人を見るたび逃げるのはやめろ。そうされると、こちらも気分が悪い」
あまりいい言葉が見つからず、リオンは素っ気ない言葉を落とした。しかし何よりも自分がわかっていたのだろうフィリアは、ただリオンの言葉を受け入れる。再び顔がうつむけられて、リオンは先を続けた。
「だから、逃げるな。お前に逃げられるのは……嫌なんだ」
「……リオンさん」
「無理に近づけとは言わない。せめて少しだけ、とどまってくれ」
その一歩だけで十分だ、と最後は呟くような小さなものになった。
「わかり、ました」
フィリアの頬がまた少し色味を増す。精進しますと彼女は言った。
「ですからお願いがあります。ご迷惑でなければ、リオンさんも繋ぎ止めてくださいませんか」
「な、」
「リオンさんのおそばから離れることは、わたくしも好きではありませんから」
「……」
だめでしょうかと、フィリアが柳眉を下げる。その表情は卑怯だと思いながら、リオンは答える代わりに掴んでいた腕を離した。離れた時間はほんの少しだけだ。すぐにフィリアの手を引いて、お互いの指を絡ませる。そうするとフィリアが、嬉しそうに笑った。
個人的にジョニーさんの台詞がお気に入りです(リオフィリ関係ねえ)