< 狂乱の捕食者 >

 片手に収まる細さに、リオンは内心で驚いた。このまま力を入れれば簡単に絞められそうだ。背丈の割に体重が伴っていないんじゃないかと思う。思ったところで、手は離さなかった。

「……リオンさん」

 のどを押さえられているせいか、発せられる声が弱々しい。息も絶え絶えだ。その姿を見ても、罪悪感が湧くことはなかった。喜悦だけが生まれる。フィリアの命を握っていることが、嬉しかった。

「苦しいか?」

 口元を緩めて尋ねる。フィリアは答えない。ただリオンを見つめ返すだけだ。苦しさから眉根が寄せられていたが、恐怖を感じているようには見えなかった。殺されると思っていないのだろうか。それはそれで腹が立つ。なんとか言ったらどうなんだと、リオンは顔をしかめた。平静を崩さない様子は気に入らない。

「リオンさんは……わたくしが、お嫌いですか」

 問い返されて、口を噤んだ。そして再び笑う。大嫌いだ、とこぼすと、フィリアの柳眉が下げられた。悲しげな表情に苛立ちが募る。自分に嫌われたところで、フィリアに不都合はないはずだ。

(お前はあいつが好きなくせに)

 その事実を、いつか、リオンはフィリアに突きつけた。フィリアは否定しなかった。今と変わらない、寂しげな顔で頷いたのだ。
『気づかれていたのですね』
 その肯定には諦めが混じっていた。

 フィリアがスタンをよく見ていることに気づいたのがいつだったのかは覚えていない。いつの間にか気づいた。気づいて、その思いが遂げられないだろうことも知る。スタンが向く方向はフィリアではなかった。
『意味のないことをしていると思わないのか』
 気になった理由などリオンは知らない。ただなんとなく、それだけが自らを動かした。気づかれていたのですね、とフィリアは寂しげに微笑んだ。微笑んで、続ける。
『意味のないことはありませんわ』
 あの人を好きになってよかった、フィリアは誇らしげに言い切った。苛立ちを覚え始めたのは、その頃からだ。
『愚かだな、お前は』
 苛立ちのままに何度か当たったこともある。
『報われない思いなど抱いてる暇があるなら、もっと意味のあることをしろ』
 しかしフィリアは頷いたり微笑みを返すだけで、リオンを非難しようとはしなかった。その態度にますます腹が立つ。
 あげく、人殺しまがいの行動にまで至ってしまった。
 リオンは、床に臥していたフィリアに近づいた。そのまま首に手を伸ばして、行動を抑える。気配で察していたのか、手を伸ばした際にフィリアの目は開いていた。驚きに見開かれた薄紫の目に、自分の姿が映っている。暗がりの中でわかりにくいはずなのに、リオンにはひどくはっきりと見えた。醜い姿だなと思いながら、リオンはフィリアの反応を待つ。そして聞こえた音が、苦しげなフィリアの声だった。

 どうしてこんなことを、とフィリアが問う。お前が嫌いだからだ、とリオンは答えた。さっきも言ったはずだと言葉を重ねると、フィリアは悲しげに目を伏せた。

「わたくしを殺すつもりですか」
「そうだな、それもいいかも知れない。……命乞いをすれば、離してやらんでもないが」

 手のひらから感じる脈の音は速い。けれど、フィリアから抵抗の色は見えなかった。伏せられた目はこちらを向かない。無性に苛立ち、手に力をこめた。

「……ッ」

 フィリアの声が詰まる。同じように、リオンの声も詰まった。思わず口を開く。なぜ抵抗しないのか、と。

「僕が本気で殺さないとでも思っているのか、フィリア。お前をくびり殺すなど容易いことだ。殺されたくないなら抵抗してみろ、はねのけるくらいしてみたらどうなんだ!」

(乱される)

 いつだって自分のほうが落ち着いていられない。他の男に心を寄せる女相手に、どうしてここまで苛立つのか。

「リオン、さん?」

 叫ぶリオンに、上げられたフィリアの目が初めて揺らいだ。しかしリオンの気は晴れない。わかっていたからだ。何をしたところで、フィリアがリオンに向くはずがないことを。

(苛立ちの理由なんて、とっくに知っていた。認めたくなかった。だから、嫌われたかった)

 心ない言葉をぶつけていれば、フィリアはリオンを嫌うはずだ。すべてを許す人間などありはしない。たとえそれが人を許すために教育された神殿の人間でも、だ。
 もくろみは外れた。フィリアは、リオンを嫌わなかった。苦手ではあっただろうが、それでもフィリアからリオンに対する負の心は感じられなかった。

「お前なんか嫌いだ」
「で、ですが、わたくしは」
「僕だけがお前を嫌いだなんて、不公平だとは思わないか?」

 こみ上げる怒りに身を任せて、手の力を強める。その時は本当に殺意が生まれていただろう。掠れたフィリアの吐息は、いつしか呻吟に変わった。

「お前も僕を嫌えばいい」

(憎めばいい。スタンを好きという思いよりも、ずっと強く)

 言葉だけで足りないなら、それ以上の辱めを与えればいい。そうすれば、いくらフィリアでも平気でいられないだろう。

「り、おん……さ」

 懸命に開こうとするくちびるを塞いで、声を奪った。このまま呼吸も奪えそうだ。けれど殺すのは得策ではなかった。自分に対する憎しみを生んだまま、フィリアには生きていてもらわなければならない。
 リオンはフィリアの首から手を離した。それと同時にフィリアが咳き込み、薄紫が涙で滲む。
 くるしいか、と、もう一度問いかけた。フィリアは何も答えず、見つめ返してくるだけだ。その表情には、先ほどまでなかった怯えが見える。望んでいた反応に、リオンは心から笑った。
 逃げられないよう手首を押さえつけ、膝で衣服を縫い止める。そのままゆっくりと近づいて、白い肌に噛みついた。