< 目の悪い彼女 >

 眼鏡をかけていれば、その人間の視力が悪いことくらいはわかる。

「すすす、すみませんリオンさんっ、わたくしの眼鏡がどこに落ちているか教えていただけませんか!?」
「おい、それは岩だ」

 しかしその視力がどれくらいかは、見ただけでわかるはずもない。

「ああっ、申し訳ありません! こちらですね、リオンさんっ」
「それは喬木だ。明らかにお前より高い対象を前に、よく僕だと言い切れるな。……もしかしなくても、喧嘩を売っているのか」

 つまるところフィリアの視力がどれほどなのかを、リオンは知るはずもなかったのだ。

「そ、そんなつもりはまったく……!」
「そっちは灌木……もういい、突っ込む気も起きん。こっちだ」

 位置を教えるために、リオンはフィリアの手首を引いた。ようやく薄紫の目が自身に向けられ、リオンはため息をつく。どうやったら人を岩や木々と間違えられるのだろう。ここまでひどい視力の持ち主に会ったのは初めてだ。嫌な初体験だと、リオンは思った。

「重ね重ねすみません……。あの、恐縮ではありますがお願いが」
「眼鏡ならここだ。そこに落ちていた」

 静物と間違えられている間に拾った眼鏡を、掴んだフィリアの手に置く。そうすると、それまで沈んでいた表情がぱっと明るくなった。ありがとうございますと、謝罪しかこぼれていなかった口から、今度は謝辞が次々と出てくる。

「礼は一度でいい。早くかけろ」
「は、はい。本当にありがとうございます、リオンさん」

 何がそこまで嬉しいのか、フィリアはいそいそと眼鏡をかける。いつもの位置にレンズが戻ると、一、二度またたいてフィリアはリオンに視線を当てた。
 そのままじっと、見つめられる。
 すぐに踵を返すものだと思っていたリオンは、フィリアのその行動に驚いた。

「なんだ」

 声が、ほんのわずか震える。咄嗟に抑えはしたが、フィリアには気づかれていないことをらしくもなく願った。

「リオンさんは」
「……なんだ」

 自分より淡い色の目が、そらされることなくこちらを見ている。いつものおどおどした雰囲気はない。ただまっすぐに。

「意外とまつ毛が長くていらっしゃるんですね」

 何を言うつもりなのかひっそりと覚悟していただけに、その一言はとても衝撃的だった。違う意味で。
 何を言っているんだろうこの女、と思った。
 人をまじまじ観察していたと思ったらなんてどうでもいいことを取り上げたんだこの女、とも思った。
 そして最終的に、

「……変な女だな、お前」

 という結論に至った。
 リオンの言葉に、フィリアは我に返ったようだ。ぶしつけなことをいたしましたと言っては、またしてもすみませんと連呼し始める。先ほどまでの張り詰めた空気はいったいどこへ行ってしまったのだろうと、少なくない疲労感を覚えながらリオンは息を吐いた。

「謝罪はもういい」
「えええ、あの、でも」
「僕は、やめろ、と言っているんだ」
「は、はい。すみま……いえっ、もう言いません」

 口元を押さえて、フィリアはそれ以上の発言を止めようとしていた。その行動にも「おかしな女」という感想を抱いて、リオンは背を向ける。

「お前の視力の悪さは十分わかった。今後、落とさないよう厳重に注意しろ。いいな」
「精進いたします。眼鏡を拾っていただいて、ありがとうございました。リオンさん」
「……礼も、もういい。お前は謝罪にしろ謝辞にしろ、過多すぎる。もう少し控えろ」
「はい。わかりました」

 背を向けたままでの会話の後、フィリアが小さく笑ったのがリオンの耳に届いた。おかしなことをした覚えはない。何に反応したのか気になり、リオンは顔だけを後ろへと向けた。視線だけで、なんだ、と問う。フィリアからは笑顔が返ってきた。

「助言くださったことが、嬉しいなと思いまして」

 言葉通り、フィリアは嬉しそうだ。なぜそこまで嬉々とできるのか。そもそもあれは助言なんて大層なものでも、助言のつもりですらなかった。ただの所感、あるいは批判。だからその反応は間違っている、おかしい。
 そんなふうに、言いたいことはたくさんあった。言うべきことはたくさんある。
 しかし、リオンの口を衝いて出てきたのは、たくさんの言葉ではなかった。

「お前は、変だ。……フィリア」

 出てきたのはたった一言。そしてこれまで口にすることのなかった、彼女の名前。
 背後の空気がささやかに揺れる。またフィリアが笑ったのだろうと、既に顔を戻していたリオンは感じ取った。

 それだけで終われば、リオンにとっては穏やかと言ってもいい時間。ぶち壊したのは、穏やかと言えなくもない空気を生んだはずの人物だった。

「そういえばリオンさん」
「なんだ」
「先ほど喬木をリオンさんと間違えてしまった時、喧嘩を売っているのかとおっしゃいましたね」
「なぜそれをほじくり返……まあいい、それがどうした」
「もしかしてリオンさんは、背が低いことを気にしていらっしゃるんでしょうか」

 ぴしっと、その場に割れ目が入った音を、リオンは確かに聞いた。
 ついでに、片割れの余計な一言も耳に入り込んでくる。

『うわあ、フィリアって無自覚に人を斬るタイプだったんですねえ』
「……黙れ、シャル」

 今後もフィリアとならば少しくらいは言葉を交わしてもいいかという考えは、リオンの頭から捨て去られた。

一番書きたかったのはラストの部分ですとか言ってみる
リオンとフィリアはもうちょっと賢そうな会話を交わしてそうですが、たまにはこんな場面があってもいいんじゃないかなと
とか言いつつ、実際は私が賢い会話できないせいでこんなことになったわけですが。はっはっは(悪びれない)