< 坊ちゃんの可愛いわがまま >

 相手がそういう性格だと知っていたから、手を動かすのは簡単だった。
 使うのはほんの指、一本。
 さしたる労力も使わずに、軽く突くだけいい。
 それで物事は思う通りにいく。

「? ……あっ、リオンさん。道具入れが落ちてますよ」
「……ああ。気にするな、後で拾っておく。お前はもう行け」

 用はすんだだろうと促すが、逡巡ののち、フィリアは体を逆方向へ向けた。出入り口へ進むはずだった足が、リオンのほうへと歩んでくる。

「ですが、二人で片づけたほうが早いですわ。お手伝いいたします」

 微笑みながら言うフィリアに、リオンは小さく息をついて、好きにしろ、と答えた。

 物事や人間を客観的に見れば、その本質を見抜くのは簡単だ。現にリオンは、「見る」ことに長けている。それがどういう人間で、どう言えばどんな行動をするのか。
 ただしこれは、リオンが冷静であればの話だ。経験を積んでいるとはいえ、リオンにはまだ未熟な部分がある。ふとした瞬間に平静を失うこともあり、そういう時はリオンの「見る」力も半減してしまう。
 というのは、シャルティエの見解である。

(まあ、未熟な部分があると言っても瑣末なものだし、僕が坊ちゃんに対して敬意を失うなんてことはないんだけどね)

 ただ少し、口を挿みたくなることもまた、ないこともないわけで。
 机上から落ちた道具入れを二人で拾い集め、いくつかの言葉を交わしたのち、フィリアは部屋を後にした。室内にリオン一人残ったところで、シャルティエは声をかける。

『坊ちゃん』
「なんだシャル」

 おそらくリオンは、シャルティエの言わんとしていることを察しているのだろう。しかし彼は、しれっとした表情で問い返す。

『……あの道具入れ、わざと落としたでしょう』
「なんのことだ」
『常に坊ちゃんの傍らにいるぼくが、気づかないとでも思ったんですか。フィリアが部屋を出ようと背中を向けたところを見計らって、手を動かしたのはどこの誰です』

 しばらく沈黙が続いたが、やがてリオンの口から小さく息が吐かれた。軽やかな空気は、リオンが笑ったことをシャルティエに知らせる。

「仮にわざとだとしようか、シャル」
『え?』
「だが僕は、フィリアに『気にするな』と言った。『もう行け』ともな」

 先ほどのやりとりを思い返しながら、シャルティエは肯定した。「仮に」とは、相変わらずひねくれた言い回しをする主人だと思いつつも、その続きを待つ。

「退室を促した時点で、僕の故意は意味を成さない」
『でも、結局フィリアは手伝ったじゃないですか』
「そうだ。しかし、僕は手伝えとは言わなかった。『手伝う』と申し出たのはあいつの意思であり、そこに僕は介入していない」

 どうだ文句はあるかとばかりの話の終わりに、シャルティエは大きなため息をついた。それは詭弁じゃないですか坊ちゃん。そう言い返したかったが、それに対する反論がきつい上に面倒そうだったので、シャルティエは口を閉ざすことにした。
 代わりに違う一言を、主であり片割れであるリオンに告げる。

『フィリアが、身近で困ってる人を助けてくれるような女性でよかったですね』
「別に。僕はいらないと言ったのに、お節介なだけだ」
『…………知っててやったくせに』
「何か言ったか、シャル」
『いいえ、なんにも』

 観察眼に長けた主。時々その力を使って、人をいいように動かす時もあるけれど(たとえば今回のフィリアのように)。自分の望みを素直に言うことなどできない立場に立たされているリオンのささやかな我儘だと思えば、これもこれで可愛らしいものなのかも知れないと。
 シャルティエは思った。

もう少し一緒にいたいと言えない坊ちゃん