< はじかみ >

 朝から感じていた寒気は、気のせいだと思っていた。頼りにならない人間を四人も抱えている以上、そんな不調などあってはならない。不調の原因が、この四人ということもありそうではあるが。

『坊ちゃん? 大丈夫ですか』
「何がだ」
『……いえ』

 携えていることもあってか、シャルティエはリオンの違和感に気づいたようだ。しかしリオン自身がなんでもないように振る舞えば、主を立てる大地の剣は発言を控える。
 シャルティエの忖度に内心で感謝しながら、リオンはいつもと同じように時間を過ごした。
 それからどのくらい経ったのか。
 その日は町を見つける前に日が落ち、野営を強いられた。野外の宿泊は、自身より周りが騒がしいため、大人しくさせなければならないことにリオンは苛立ちを覚える。この日もまた、電撃用のスイッチに手が伸びた。

『お疲れ様です、坊ちゃん』
「まったく、なんなんだあの女は。毎度毎度、うるさくてかなわん」

 見張りと称して陣営から離れたリオンは、ぐちりと不満をシャルティエにこぼす。口実ではあるが実際には必要なので、辺りへの警戒を解くことはしなかった。

『ルーティ以外はそんなに文句は言わないんですけどね。あ、でも、フィリアもちょっと嫌そうにしてましたっけ』
「ああ、あいつか。不慣れだからとかなんとか、つくづく面倒な女だ。これでは先が思いやられる」

 そもそも同行させるつもりなどなかった人間だ。今さら外すこともできないので、どうでもいいことなのだが。だからといって、不満が消えることはない。
 周りの空気を感じ取りながら、リオンは大きくため息をついた。

「……」

 吐いた息がやけに熱い。踏み出した足が不確かな気がして、リオンは足を止めた。すぐにシャルティエの呼び声がかかり、なんでもない、とだけを返す。

『坊ちゃん』
「問題はない。戻るぞ」

 特に怪しい気配もない。リオンはその場から踵を返した。

「あ、お帰りなさい。リオンさん」

 戻ったリオンを迎えたのは、意外にもフィリアだった。とうにテントに引っ込んでいると思っていたリオンは、たき火の近くに腰を下ろしていた彼女の姿にわずか目を瞠る。
 驚く様子を見せたリオンに倣うように、フィリアもまた軽くその目をまたたかせた。何かに気づいたかのような反応に、リオンは思わず問い返す。

「……なんだ」
「い、いえ。その、わたくしの勘違いかも知れませんし」
「はっきりしない奴だな」

 これ見よがしにため息をついて、嫌みたらしく発言するが、対するフィリアはいつもと違った。すみません、と謝るのはいつも通りだったが、その後の様子が違うのだ。
 怪訝に思いフィリアを見ていると、やがて彼女はためらいつつも口を開いた。

「あの、リオンさん。もしかして体調でも崩されましたか?」

 意外な相手からの思いも寄らない指摘に、リオンは今度こそ目を見開かせる。それが図星であると反応してしまったことで、フィリアは慌ただしくリオンに近づいた。

「大変ですわ! すぐに火のそばにお座りください。ああ、それともお休みになったほうが……」
「い、いらん。騒ぐな、うるさい」
「え、あの、でも」

 とろいと思っていたフィリアの俊敏な動作にも驚きながら、リオンは声を張る。なおも騒ぎ立てようとするフィリアに「うるさい」と再度とがめれば、彼女はようやく静かになった。
 それでもリオンへの意見は止めないようだ。フィリアはなんの迷いもなくリオンの腕を取り、火の近くに座らせようとする。

「おい」
「騒いだりしませんから、せめて暖は取ってください」

 普段は聞き慣れることのない強い意志を持った声に、リオンはしぶしぶながら従った。そして不意に思い出す、そういえばこの声はフィリアを同行させることになった時にも聞いたな、と。
 たき火の近くにあった丸太に腰を下ろせば、それまでフィリアがまとっていた毛布をかけられる。リオンは顔をしかめてみせたが、フィリアは応じなかった。
 いらぬ世話だ余計なことだ、他人のことを気にする余裕がお前になどあるものか。
 そう思ったところで、リオンは口を開けなかった。言葉にしてしまえば、不調であることを認めたことになってしまう。自分が体調を崩すことなどあってはならないと思っている以上、何も言えないのだ。
 フィリアは、リオンの無言を観念と取ったらしい。満足そうな顔で向かい側に座り、道具袋から何かを取り出し始めた。

「……何をしている」
「少し待っていてくださいね。今、温かい飲み物をお作りしますから。それを飲んだら休んでください」
「いらん。僕は、不調などではない」

 我ながら虚勢を張った物言いだとリオンは思う。しかし、不調であると思われ続けるのも我慢ならず、リオンは口を開かざるを得なかった。
 リオンの言葉に、手元に落としていた視線を上げたフィリアが口を開く。

「けれど、リオンさん。いつもより声の張りと険がありませんわ」

 きっぱりとした一言に、シャルティエが小さく笑った。フィリアに聞こえないよう名を告げれば、すみませんとすぐに返る。

「? 今、何かおっしゃいましたか?」
「気のせいだ。……お前のそれも、気のせいだ」

 不調ではないことを、「それ」という単語に含めてリオンは告げた。そうでしょうかと答えるものの、フィリアは手を止めようとしない。リオンが認めないように、フィリアも認める気がないのだろうか。面倒な女だと、リオンはますます顔をしかめた。
 それからしばらくして、カップを渡される。ネープルスイエローのお湯らしきが、少し独特な香りを鼻へと運んできた。

「……なんだこれは」
「生姜湯という飲み物です。温まりますよ」
「おかしな香りがするんだが」
「生姜は香辛料によく使われるものですから。けれど、大丈夫ですわ。はちみつも入れていますから、飲みやすいと思います」

 言われるまま一口飲んでみたが、あまりおいしいとは言えなかった。しかし、体を温めるものと思って飲んでみれば、その効果に間違いはないようだ。

「風邪のひき始めには役に立つんですよ。後は温かくして眠れば、すぐによくなりますわ」
「……僕は」
「風邪をひいていなくても、体が温まります。この地方は寒さが厳しいですから、ちょうどいいですわ。リオンさんが見回りをしてくださっている時も、みなさんと一緒に飲んでいたんです」

 だから、とフィリアは言う。だから気にすることはないと、風邪をひいていなくても飲むことは普通だと。目の前の司祭はリオンに言う。
 旅にも戦闘にも不慣れな面倒でしかない人間、知って間もないはずなのにリオンの異変になぜか目ざとい女。いいや自分には異変などない、フィリアもそう言った。だからこれはただの防寒対策、フィリアはそれを行っただけ。
 書物と一緒に育っていただけあって知識はそれなりにあるんですね、とシャルティエがささやいた。そうだな、という返事は目を閉じることで示す。

「どうでしょう、リオンさん。温まりませんか?」

 フィリアの問いかけには何も答えず、リオンはカップに口をつけた。

実際この世界に生姜湯があるかはわからないんですが、無かったら無かったでフィリアの知識内にあるものと思っていただければ。
不規則な生活でフィリアも風邪をひく回数が少なくないからのしょうが湯常用+リオンの変化に気づくという裏設定もあったりします
追記:世の中にはジンジャーティーなるものがあることを後になって知ったっていう(=リオンがそれを知ってたらどうしようっていう)