< 彼か彼女か、とらわれの >
年に一度、ストレイライズ神殿から一人の司祭がいなくなる。決められた日付けは変わることなく、必ずその日、彼女は姿を消していた。
それを知ったのはつい最近のことだ。何か用事があるのなら、神殿から出ることは当たり前だろうし、特に気にかけることでもない。けれど、年に一度、決まった日、という言葉がひどく引っかかった。
だからスタンは、この日に彼女へと会いに来た。潮の香るこの場所へ。
「やあ、フィリア」
会うのはどれくらいだろう。ものすごく久しぶりだったような気もするし、それほど間を置いた訪問でもない気がする。
それぐらい、スタンにとって「フィリアに会う」ということはさほど重要ではなかったのだ。
「こんにちは、スタンさん。こちらまでおいでくださったんですね」
フィリアは、スタンの来訪に驚かなかった。スタンが訪れたのが神殿内ではない、人の知れないような寂しい場所であるにもかかわらず。
スタンは最初、その平静さに驚いた。フィリアがこんなひっそりとした場へ訪れていることにも驚きはしたが、ここでの対面にさしたる反応を見せない彼女ほどではない。フィリアならもう少し驚いてもよさそうなのに、とスタンは思った。
「アイルツさんに、フィリアがここにいるって聞いたんだ」
「ええ、そうでしょうね。ここに来ていることは、司教様にしか伝えていませんから。わざわざいらしてくださって申し訳ありません」
「い、いや、そんなの、大したことじゃないし……」
やはりいつもと何かが違う。フィリアの対応に動揺を覚え、スタンは口ごもってしまった。その様子に首をかしげたフィリアが、スタンさん、と不思議そうに呼びかける。目をまたたかせるさまは、かつての彼女となんら変わらない。
では何が違うのだろう、今日の彼女は。
「……年に一度」
「え?」
あの頃と今と何が違うか。考えた先に見つけたものを確かめようと、スタンはゆるゆる口を開く。外れているだろうか、間違えていないだろうか、けれどおそらくこれが正解だろうと思いながら。
「決まった日に出かけているのは、その花をおくるため?」
フィリアの腕の中に視線を向けて、スタンは言い終える。問いかけのような、ただの確認のような言葉に、それでもフィリアはいつも通りだった。
いつも以上の、穏やかな表情で、
「ええ」
肯定した。
言い方が悪いことは承知であるが、「彼」の死はそれほどの大ごとではなかった。どちらかといえば『神の眼』を砕いたこと、ソーディアンとの別れのほうがスタンにとってはより大きな出来事だ。かといって「彼」のことが些末であったとは言わない。それは確かにスタンの心に大きな傷をつけた。ただそれは、一過性と言えるようなことでもあったのだ。心の隅には残るけれど、生きている今のすべてに影響するほどでもない記憶。いつか死んでしまう人が少し早く、そしてあまりよくない状況で死んでしまったのだと、そう思うだけの。
けれど彼女には、フィリアにとってのリオンの死とは、スタンほど軽いものではなかったようだ。
「献花を始めたのは、神殿が落ち着きを見せた頃からです。……いえ、それよりも前だったかも知れませんわ。もう何度も続けていることですから、記憶がおぼろげなようです」
「海岸を選んだのは、あいつが人として最期を迎えた場所がそうだったから、でいいのかな」
「どう、でしょうね。花をおくるのに、海がいいからと考えたからかも知れませんし、そうでないかも知れません」
フィリアにしては曖昧な返答だ。表情も暗い。聞かれたくないことだったろうかと、スタンは焦った。
「あ、ご……ごめん」
「謝る必要はありませんわ。スタンさんが気になさるような理由ではありませんから。本当はどこでもよかったんです」
微笑むフィリアに、スタンは目を見開かせる。どういうことだろうという疑問は、問いかけるよりも早く彼女が答えた。
「どこでもいいのです。おくる気はないのですから」
愕然としたスタンは言葉を失う。けれどスタンに構うことなく、フィリアは続けた。おくる気はない、届いてほしくないから、彼女は言う。淀みなく穏やかに、透る音を震わせていとおしそうに、そして何よりも冷たく言い放つ。
「……いつか、スタンさんはわたくしを『優しい』とおっしゃってくださいましたね」
「……」
「けれど、わたくしは優しくなんかありませんでした。わたくしは今も、あの人に拘泥していますわ。この目ではっきりと、あの場所で死を望むリオンさんを見たのに。この手であの人に終わりを訪れさせたはずなのに」
「フィリア……」
「リオンさんの安寧を望んでいない自分がいることに気づいたのは、献花を始めてから二年くらい経った頃です。供えようとしているはずの花を、わたくしはいつも見届けたことがなかった。見たくないと、見なければ届くことがないと、そう思っていたんです」
届かなければ、いつか帰ってくるんじゃないかと、そう思って。
途切れ途切れに告げる彼女の声は、震えているようにも、しっかりしているようにも聞こえた。
「バティスタやグレバムの死は受け入れられたのに、たった一人、あの人だけにはこだわり続けている。あの人の死を認めないのに、献花という真似事だけはしているなんて、愚かでしかないのでしょうね」
わかっているはずなのにやめられないのはどうしてでしょうと、フィリアは言う。海へ花を捧げながら捧げたはずの花を見ることなく、目を伏せて口だけを開いて。
(ああ)
スタンはその姿に狂気を感じた。
ずっと、これまで旅をしてきて、時間を共にしてきて、わかっていたはずの彼女を初めてわからないと感じた。
恐ろしいと思った。
(それでも君は、間違いなくフィリアなのか)
穏やかで、世間を知らないところがあって、少し鈍くて、しとやかな女性。その所見に間違いはないのだろう。フィリア・フィリスという人物にもう一面あった、ただそれだけ。スタンが知らなかったというだけのこと。
それほどまでに心を囚われることは恐ろしくもあり、反面羨ましくもあった。
リオン←フィリアっぽいですが一応リオフィリ前提です
片思いなら諦めもつくけれど、両思いだったからこその執着と考えていただければ