< オニキス >

 あれ、と驚いたような声に、フィリアは顔を向けた。どうされましたかルーティさん、と問いかけ、問われるままに彼女が答える。

「さっき見かけたの、神官っぽい人だったんだけどさ」
「はい」
「耳に飾りしてたのよ」
「はい。……はい?」

 ルーティの言葉に、フィリアは首をかしげる。要領を得なかったので問い返すように視線を向けると、あのね、と彼女は不足を補った。

「ピアスかイヤリングかははっきりわからなかったんだけど、神官がそんな耳飾りとかしてもいいのかって思ってさ」
「ああ、そういうことでしたか」

 ようやく納得がいき、フィリアはそっと息をつく。それからルーティの疑問に答えるべく、口を開いた。

「特に珍しいことではないんですよ」
「え、そうなの?」
「今は装飾としての意味合いが強いですが、もともとは魔除けを目的とされていたんです。悪魔が耳から入らないように着けたり、光り輝く物が魔物を遠ざけるという言い伝えから着けたりしたそうですよ。他にも、身分を表すために着ける国もあるそうですわ」

 そう考えると、ピアスも伝統のある装飾品ということですね、とフィリアは説明した。古代文明を研究している身として、古来に関するものには喜悦を覚える。そのために、自然と声も弾んでいた。
 話を聞いたルーティは、へえ、と感心したように声を上げている。それから何か思いついたように、顔を輝かせた。

「ねえ、じゃあ、あたしたちもその恩恵にあずからない?」

 そのままフィリアは、ルーティと共に装飾品店へ赴くこととなった。
 それがほんの数時間前の出来事。

 街から宿屋へ戻ったフィリアたちを迎えたのはリオンだった。
 何も彼がわざわざ出迎えたわけではない、たまたまそこに居合わせただけなのだろう。現に、リオンの口から出迎えの挨拶が出てくることはなかった。
 しかし彼は、代わりに違う言葉を投げかけた。

「……なんだ、それは」

 あら目ざとい、と呟いたルーティは、見てわからないの、とリオンに返す。質問を戻されたリオンは眉をひそめたが、すぐに表情を変えて、無駄遣いか、と冷笑を浮かべた。

「んな、しっつれいね! これはれっきとしたお守りなの! フィリアとお揃いで買ったし、無駄遣いのうちには入らないわよ」
「ああそうか。そんな見るからに安っぽい物だから、お前も金を出したのか。だが、安物買いのなんとやらとも言う。その購入が自分の首を絞めなければいいな」

 はっ、と吐き捨てるようにリオンが笑えば、ルーティの全身が小刻みに震えていく。一触即発の空気に、フィリアは慌てて間に入った。

「お、落ち着いてください、ルーティさん。リオンさんも悪気は……ないと言い切れないかも知れませんが、これもコミュニケーションの一つだと思って抑えましょう。ね」
「あいつには悪気しかないってのに、なんであたしが抑えなきゃ……まあ、いいわ。ここは年上のあたしが大人なところを見せないとね」
「そうですわ。さすがルーティさんです! 年下の方の扱いには慣れていますものね」

 ルーティの怒りが収まりそうなことに、フィリアはほっと安堵の息をつく。しかし、今度はフィリアの言葉がリオンの「緒」を刺激したようだ。おい、と低い声がフィリアにぶつけられる。

「僕を子供扱いする気か」
「えっ、い、いえ、そんなつもりはまったく……」
「ほう。お前の言葉は『そんなつもり』にしか聞こえなかったが」

 リオンの機嫌は下降の一途だ。失言だったかと後悔するも、矛先がルーティに向いたまま喧嘩になるよりかはましだろうかとフィリアは考える。それはそれで、この先をどう収めればいいのかが次の問題になってしまうのだが。

「……ちっ」

 しかし、悪い流れはそこで急に途切れた。リオンが舌打ちをして、それきり怒りを収めたからだ。突然の行動にフィリアは目をまたたかせた。同じようにルーティも、リオンの挙動を呆然と眺めている。
 唐突な展開に、フィリアもルーティも口を挿めない。邪魔の入らないリオンはすたすたと歩を進め、近づいたかと思うと手を上げた。

「魔除けの伝承があるとは言うが」

 リオンの指が、フィリアの耳朶に触れる。
 嘲笑とは違う笑みをこぼしながら、お前には似合わんな、と彼は言った。

 なんなのよあいつはいちいち文句言わなきゃ気がすまないのかしらと、ルーティは憤慨している。そんな彼女を、フィリアは苦笑しながら宥めた。

「何よ、あんたは腹立たないの?」
「ルーティさんがそこまで気にしてくださるだけで、十分ですわ。それに、お揃いのイヤリングを買おうと誘ってくださったことも、とても嬉しかったです。ありがとうございます」

 フィリアが謝辞を述べると、気勢をそがれたのかルーティの顔から怒りの色が消えていく。フィリアがいいなら別にいいんだけど、と顔をそむけたのは、彼女の照れ隠しなのだろうか。微笑ましさに口元も緩んだ。
 ふと、先ほどの出来事を思い出す。
 触れたリオンの指、そして彼が見せた表情。嘲りとは違った柔らかな、どこかやるせなさを思わせるようなあの微笑みは、いったいどういう感情の表れなのか。
 フィリアはそっと耳朶に触れる。
 既に引いたはずの熱が、まだそこに残っているような気がした。

リオンの所作の真意はお好きに解釈してください(丸投げ)
オニキスは魔除けに最適といわれてるパワーストーンらしいので、二人が買ったのはオニキスのイヤリングということで