< 思い知らされる瞬間 >

 フィリアがまだ目覚めないと聞いて、慌てて彼女の様子を見に行った。眠っている女性の部屋に単身で入るなんて、と怒鳴られる心配もなかったので、そのことには安堵しつつ。
 控えめなノックをした後で、扉を開ける。部屋は静かだった。静かすぎて耳が痛いほどに。

「……フィリア?」

 声を抑えながら呼びかけてみる。しかしベッドに仰臥したフィリアは、ぴくりとも反応を見せなかった。ささやかながらも吐息は聞こえるし、医師からも生存は確実であることを聞いている。ただ、目を開けないだけなのだ。

「フィリア……」

 今までの疲労がたまりにたまった結果でもあるのだろうか。ミクトランから受けた力は圧倒的で、実際スタンも意識を取り戻すまで数日を要した。何年も戦闘経験を積んだわけではないフィリアには、相当のストレスとなったのかも知れない。
 そう考えると未だ目を開けないのも納得はいくが、しかしずっとこうしているわけにもいかないことも知っていた。時間は待ってなどくれないのだ。
 悪いこととは思いつつも、手袋を外したスタンはフィリアへと手を伸ばした。外から衝撃を与えれば、少しは反応を見せてくれるのではないかと思ったのだ。衝撃といっても軽いもので、頬を少しばかり叩いてみることにする。
 ぺちぺちと頼りない音が続く。しかし、フィリアが起きる様子はなかった。かといってこれ以上、強く叩くわけにもいかない。

(ど、どうしよう)

 自問して、どうしようもないんじゃないかと自答する。フィリアを起こそうとしたのは、何も自分だけではないはずだ。その上で、フィリアはまだ起きない。何か精神的なショックが原因だとしたら、起こすのは容易ではないとも言っていたことを思い出す。だとしたらやはり、自分でも無理なのだろうか。

「……」

 ふと、空気が揺れた。項垂れていたスタンは我に返り、フィリアに意識を戻す。

「フィリア!?」

 思わず大きな声を発してしまったが、気にする余裕がない。スタンは身を乗り出して、フィリアの様子を窺う。
 フィリアのくちびるが動いた。
 何かを告げようとしているような、何かを呟こうとしているような。
 フィリア、とスタンは呼びかけようとした。うまくいけば、このまま目を開けてくれるかも知れない。
 しかし現実はそう甘くもなかった。

 フィリアが目を覚ましたのは、それから二日後のことだ。少しばかり時間はかかってしまったが、これで全員が意識を取り戻したことになる。次は、ミクトランに対抗するための力を身につけることが課題となった。
 仲間の意気が高まる中、スタンだけは一歩、外を向いていた。ミクトラン対策については、もちろん尽力するつもりである。ただほんの少し、気がかりなことがあっただけ。
 仲間と言葉を交わすフィリアを見やる。彼女はいつも通りだった。
 あの時とは、違う。

(あの時、フィリアは……)

 閉じられていた目からこぼれたもの、こぼされた音、それは悲しみに彩られていて、切なさが滲み出ていた。
 リオンさん、と。
 掠れた声で彼女は呟いた。
 まだ新しい記憶、海底洞窟に残った彼の消息は掴めていない。あの状況では絶望的な結末しか考えられないが、フィリアはずっと願っていたのだろう。リオンの生存を。おそらく彼女自身も無理な願いとはわかっていても、祈らずにはいられないのだ。
 何より大切な存在がいなくなるという事実を、認めたくない気持ち。意識を失って、不確かな状態で、フィリアは彼の名を呟いた。それはきっと彼女の本心。フィリアが常に誰を求めているかが思い知らされた一瞬だ。

(どうしてあいつなんだろう)

 どうして俺じゃなかったんだろう、フィリアから目をそらしてスタンはぽつりと思った。