< 帽子の奧に隠される >
大きな帽子を、深く深く被る。
それは彼女が悲しみをこらえている時だと、気づいたのはいつだったか。
「どーせボクはヘタレでチビで可愛くない奴だよ! そんなの、言われなくたってわかってるさ!」
怒鳴り声は隣の部屋から聞こえた。扉が乱暴に開けられる音が続いて、少女の名を叫ぶ青年の声が遅れてついてくる。
ベリルとヒスイの声だと認識した時には、隣室には既にヒスイしかいなかった。
「……また喧嘩したの、ヒスイ?」
「『また』ってのはなんだ、『また』ってのは! ……知るかよ、あいつが勝手にキレて飛び出したんだ」
ちっと舌打ちをしてヒスイが顔をそむける。いつものように出てくる言葉は悪いが、それでも多少なりと後悔はしているのだろうなとシングは思った。表情は見えなくても、空気でわかる。
「後でちゃんと謝りなよ」
「うるせえ」
「ベリルは、女の子なんだよ」
「……んなこと、てめえに言われるまでもねえ」
絞り出すような小さな声にシングは頷いた。わかってるならいいんだ、そう告げてシングは部屋を出る。彼女の後を追うように。
目的の人物は、思ったよりも早く見つかった。階下の突き当たりに、小さな体がうずくまっている。
小さな背中、丸まった体。帽子を目深に被っているせいで、ぱっと見は帽子のお化けだ。深夜に遭遇したら、きっと驚くことだろう。
しかしシングは、それがベリルであることを知っている。だから驚くことはないし、逆に心配をした。小さな背中まで隠れてしまうほどに、深く帽子を被ったベリルを。
(今おれが呼んでも、ベリルはきっといつもと同じ顔で振り向く)
気取ったつもりで気取り切れていない、そんな表情が振り返るだろう。悲しみをこらえて、涙を見せないようにベリルは取り繕う。
戦いや恐怖と対峙した時は隠すことなく逃げ腰だというのに、ベリルは自分の悲しみだけは見せようとしない。見せることは見せるのだが、肝心なところを見た記憶がシングにはない。そんな気がする。
「ベリル」
名を呼ぶと、彼女の肩がぴくりと震えた。帽子のつばを掴んでいた手が離れると、勢いよく顔を向けられる。
「まったくもう、ヒスイほどオトメゴコロのわからない男もいないよ! あれだよね、『デカリシー』ってのが欠けてるんだ。そーだそーだ、そーに違いない!」
「ベリル……」
怒った顔は、やはりいつものベリルだ。悲しみよりも怒りの強い表情、にわかに感じ取れる悲しみも、もしかしたら見せかけかも知れない。表面だけの、作った悲しみ。シングは苦笑した。
「ベリル、それは『デカリシー』じゃなくって『デリカシー』って言うんだよ」
「そっ……そんなの、わ、わかってるよ。これはシングを試しただけで別に本気で間違えたわけじゃ」
あわあわと言い繕おうとする様子にも苦笑して、シングはベリルに近づいた。屈み込んで、目線を合わせる。
なに、と慌てたようなベリルの反応に、ヒスイに何を言われたの、とシングは尋ねた。
「……別に。ただ、ボクが」
「ベリルが?」
「ボクが……、ヘタレでチビで可愛くないって」
「そんなこと言われたの?」
「言われたわけじゃ、ないよ。ボクが……卑屈なだけさ」
顔をうつむけてベリルが呟く。帽子のつばが隔てになって、彼女の表情が見えない。見えないことが、シングには厭わしい。本当の気持ちが掴めないようで不快だ。
シングは顔を近づけ、ベリルに手を伸ばした。
「ベリル」
「え、な、なに、シング?」
「おれは、ベリルのこと可愛いと思うよ」
伸ばした手に当たるベリルの頬が、じわっとぬくもりを帯びる。褒められることに慣れていないのだろうか、顔が真っ赤だ。こういう反応は、本当に可愛いと思う。
「なっなっなっ、そそそ、そんなこと信じないよ。シングが可愛いって思ってるのはコハクじゃないかっ」
「うん。コハクは可愛い。でも、コハクと違った可愛さがベリルにはあるよ。断言する。ベリルは、可愛いよ」
ベリルの顔は赤く、それに伴い、頬に添えたシングの手も温かくなっていく。彼女の熱だと、シングは少し嬉しくなった。ベリルの気持ちを知ることができて嬉しい、けれどそのすべてを知られないのが寂しい。自分の中にためこまないで、さらしてくれてもいいのに。
(泣いても、いいのに)
思うだけで、シングがそれを口にすることはできなかった。
「……シング」
「ん、何?」
言葉にできないもどかしさと口惜しさを振り払って、ベリルに意識を向ける。帽子に遮られていた顔がちらりとのぞいて、
「ありが、とう……」
赤い顔が礼を述べた。
それがとても嬉しかったので、シングは笑顔で「どういたしまして」と答えた。
こんなのシングじゃねえと言われそうですが、ここではこんなシングがデフォルトです
ヒスイが当て馬っぽい(笑)