< 「あまいことば」を言ってみよう >

 唐突な質問とその内容にヒスイは目を剥いた。

「女の口説き方だぁ?」
「うん、そう。どうやったらいいの?」

 質問をしてきた相手がシングということにも、ヒスイは驚きを隠せない。しかし、クンツァイトに聞かれるよりはまだ現実味はあった。「女の口説き方」を聞いてきたのがシングではなくクンツァイトであれば、それはもう天変地異の前触れだろう。なんて恐ろしい。

「ヒスイ?」

 架空の天災を恐れるヒスイに、シングが不思議そうな声をかけた。我に返ったヒスイは話を戻そうとして、大変なことに気づく。

「女の口説き方なんざ聞いて誰に実践する気だ、てめえ! コハクか、コハクにするつもりか!」
「ち、違うよ、コハクにじゃないから! ってかヒスイ手ぇ離して、首っ、首しまってる!」
「マジだろうな、マジで違うんだろうな!?」
「違う違う違うから、首、しま……」
「警告。それ以上は人命に関わる。直ちにシングから離れることを要求する、ヒスイ」

 ヒスイとシングの間へ、冷静な声が割って入る。再びヒスイは我に返って、シングの首から手を離した。思った以上に力を入れていたようだ。息が詰まったせいか、シングの顔が赤らんでいた。
 解放されてげほげほと咳き込むシングに、ヒスイは笑いながら謝る。

「悪い、悪い。ついな」
「つ、ついで殺されかけちゃ、たまんないよ……」
「幸い大事には至っていない。しばらくすれば息も整うだろう」
「うう……」
「あー、まあ、なんだ。口説き方だっけな。教えてやっから、それでチャラな」

 だっはっはと笑いながら、ヒスイはシングが落ち着くのを待った。
 それから数分後、宿屋の一室でヒスイの口説き講座が始まった。ヒスイはベッドの上に腰かけ、シングは床の上に座り込んでいる。その横には、なぜかクンツァイトも座っていた。

「……お前も誰か口説くつもりなのか、クンツァイト」

 蘇る架空の天災を頭の端で考えながら、講義を始める前にヒスイが問いかける。対するクンツァイトは、「単なる興味本位だ」と答えた。

「で、で、ヒスイ。女の人を口説くにはどうすればいいの?」
「どうするっても、効果的なのは人によって違うしな。まあ、よくあるのは『甘い言葉を言う』ってのだな。大概の女はそういうのに弱えぜ」

 まあそれも顔がいいことが第一条件だがなと続けたところで、クンツァイトが口を挿む。

「ヒスイ。シングはもういない。『甘い言葉を言う』とお前が口にしたところで、部屋から飛び出していった」

 頼りにしたのなら、人の話は最後まで聞け。殺しかけて罪悪感を覚えた相手ではあるが、もう一度シメてやろうかとヒスイは思った。

 盛大な音を立てて開かれた扉に、一人部屋で寛いでいたベリルは肩を跳ね上げた。突然の出来事に、敵襲かとティエールを取り出す。

「なななななになに何事だよっ」
「ベリル!」
「シング!? 何どうしたの、もしかしてゼロムの大群でもやってきたの!?」
「え? ゼロム? どこに?」
「え……?」

 慌てふためくベリルに対して、シングはきょとんとしている。会話が噛み合っていないことに、ベリルはしばし考えた。
 それからティエールを戻した後で、改めて口を開く。

「えっと、シングはなんでここに? ヒスイたちと一緒にいたんじゃなかったっけ」
「うん。ヒスイに聞きたいことがあって、さっきまで一緒にいたんだけど……。ベリルは一人なの? コハクやイネスは?」
「二人は買い物。ボクはちょっとのんびりしたかったから、ここに残ったんだよ」
「そっか。じゃあ、好都合だ」

 にっこりと笑顔を作ったシングに、ベリルは眉根を寄せる。好都合という言葉は聞き捨てなからなかった。シングは何を企んでいるのだろう。

「チョコレート!」
「へ?」
「キャンディーにアイスクリーム、ショートケーキにモンブランっ」
「あの、シング?」
「あとはうーんと、うーんと……、あ! ピーチパイ!!」

 どうだえっへん、と腰に手を当てる様子は、幼い子供が何か誇らしげなことをした時にするしぐさに似ていた。しかし、そんな態度を取られてもベリルには何がどうなのかさっぱりわからない。このシングから、いったい何を読み取れというのか。

 ベリルの頭が疑問符で埋め尽くされようとしているその時、部屋の外にはヒスイとクンツァイトが扉に張りついていた。わずかに開けた扉から、二人の様子を覗き見している。はっきり言って、怪しいことこの上ない。

(なんだあいつ、ベリルを口説く気だったのか。なんつー物好きな)
(好みというものは人それぞれだろう)
(まあそーだけどよ。……それにしても菓子の名前を叫ぶたぁ、お約束な奴だな)
(しかし、間違ってはいない。広い意味ではあれも『甘い』言葉だ)

 だからといって、それが何かを生み出すわけではない。せっかくのアドバイスを無意味なものにしやがって、とヒスイはぶつぶつ文句を言った。そんなヒスイから、クンツァイトは視線を二人に戻す。それと同時に変化が現れた。

「えーと……シング、お菓子でも食べたいの?」
「お菓子? いや、違くて」

 否定しようとしたシングの言葉を聞かず、ベリルは何かを考えるようにうつむいた。確かここの食堂は頼んだら使わせてくれるんだっけ、そんなことをぽつりと呟く。

「ピーチパイでいいなら、ボク作るけど」
「え、ベリルが? おれに作ってくれるの?」
「そりゃ、グランマほどの味はまだ出せないけどさ。それなりには作ってきたから、食べられないほどじゃないと思うよ。作るのにちょっと時間かかるけど、それでもいい?」
「うん。ベリルが作ってくれるなら、おれいつまでも待つよ。じゃあ、早く行こう」

 途端に喜色満面となったシングは、ベリルの手を取り部屋を出ようとする。ヒスイとクンツァイトは慌てて扉から離れ、身を隠すために隣の空き部屋へ滑り込んだ。そのまま彼らは、食堂へと向かうシングとベリルをこっそり見つめる。シングはスキップをしながら、ベリルはそんなシングについていくのが大変そうだ。
 やがて彼らの姿が曲がり角の向こうへ消えた後、ヒスイたちも空き部屋から出てきた。そしてヒスイは、一息つく。

「……行ったな」
「そうだな」
「俺が教えた意味、全然ねえが……こういうの、結果オーライって言うんだろうな」
「シングだからこそできた芸当かも知れない。なかなか面白いやりとりだった」

 一人頷くクンツァイトに、ヒスイはなんだかなと肩を落とした。