< あくまで代用です >

「カイルさん!」

 少年の足は速く、フィリアでは追いつくことは難しい。どうにか止まってもらおうとできる限り声を張り上げると、ようやくカイルが立ち止まってくれた。

「どうしたの、フィリアさん」
「どうしたのでは、なく……しょ、少々、お待ちください」

 長い距離でもないのに息切れをしてしまう自分を情けなく思いながら、呼吸を整えるのに時間を使う。フィリアの様子に、カイルが近くまでやってきた。

「大丈夫?」
「は、はい。申し訳ありません」
「ううん。謝るのは多分おれのほうだと思うし」

 胸を押さえながら息が落ち着くのを待ったところで、カイルの言葉に我に返る。そうです、とフィリアは慌てて声を上げた。

「本をお返しください。それは読み物であって、足場にするものではありませんわ」
「うーん。でも、これがないと棚に手が届かないしなあ」
「本ではなく、踏み台を使ってください。場所ならわたくしが知っています。ご案内しますから、そちらに向かいましょう」

 本を使うのだけはやめてほしいと訴えると、しぶしぶながらカイルが頷いた。本を返してもらいながら、カイルの沈んだ様子に首をかしげる。そこまで急いでいたのだろうかと尋ねると、回り道になるのが嫌だったと返ってきた。

「カイルさん……」
「そういうことってない? こう、目的のために進んでる途中で、それが果たせそうな物を見つけた時のお得感っていうのか」
「ものぐさはいけませんよ。兼用できる物ならともかく、本来の使い方とそぐわないことは許容できませんわ」
「はーい」

 カイルの表情は少し不満そうではあったが、間延びした返事にもフィリアは怒る気にはならない。カイルというより少年特有のやんちゃさは、程度にはよるが微笑ましいものでもあるのだ。それにカイルなら、注意したことは聞いてくれるだろう。
 そのままフィリアは物置へと向かい、踏み台を見つけてカイルに渡した。使った後はここに戻すように言ったが、場所がすぐに覚えられないと返されそのまま行動を一緒にすることになった。

「船内ですから、そんなに迷う要素はないと思いますよ」
「うん。普通の船ならそうでもないけど、このバンエルティア号ってちょっと不思議なところがあるからさ。時々、自分がどこにいるのかわからなくなることがあるんだ」

 そう言われてしまえば、フィリアにも身に覚えがあった。ギルドの人数は多いが、時に顔を合わすこともなく一日を終えることもある。入れ違いが重なってそうなるのかも知れないが、空間に限りがないような錯覚を起こすこともあるのだ。

「アイフリードの名を冠するだけはあるのかも知れませんね」
「うん。だから、ちょっと付き合ってね」

 他愛ない会話をしながら、カイルの用事に付き添った。踏み台に乗ったカイルが、もうちょっと背が欲しいなあとこぼしたので、カイルならすぐに伸びるだろうとフィリアは返す。そうだといいなと笑った少年に倣うように、フィリアも微笑んだ。

「ねえ、フィリアさん。本は踏み台にしちゃいけないんだよね」
「ええ、そうですよ」

 目的を果たして物置に戻った時、カイルがぽつりと言った。確認するような言い方に小首をかしげながらも頷くと、それじゃあ、と質問が重ねられる。

「本を枕にするのもだめ?」
「いけませんわ。本は読み物ですから、それ以外に使わないでくださいね」
「そっか。それなら、フィリアさんの膝貸して」
「え?」

 話の流れが見えない。本の使い方から、なぜフィリアの膝に話題がいくのか。どういうことかと、フィリアはカイルに聞き返す。

「回り道して疲れたから、ちょっと眠たいんだ。その本が枕代わりに使えないなら、フィリアさんの膝を借りようと思って。このまま甲板に行こうよ。今日は天気がいいから、きっと気持ちいいよ」

 回り道をして疲れたというのはわかる。いい陽気の下で眠る心地よさもわかるから、自室で眠ることの強要もできない。問題は、枕の代用だ。

「お部屋から枕を持って来られては」
「フィリアさんが一緒に来てくれればすぐなのに、部屋に行くと遠回りになっちゃうよ」
「いえ、ですが、わたくしでは荷が重いといいますが」
「頭だけ乗っけるから、重くないと思うけどな」
「その『重い』ではなく……」

 なんとか断ろうと言葉を重ねるが、ちらっとカイルの視線がフィリアの持つ本に向けられる。カイルが何を言おうとしているかを察してしまい、フィリアは本を抱きかかえた。

「こ、これはいけませんよ」
「うん。じゃあもう、フィリアさんの膝しかないね」

 にっこりと向けられた笑顔は、無邪気という言葉がとても似合いそうだ。カイルはきっと純粋に眠りたいだけなのだろう。本を使われてしまうくらいならという気持ちと、少年の力になれるならという気持ちを胸に、フィリアは「わかりました」と頷いた。

悪意はないけど下心はあるよ!(言い切った)