< ユーリのお悩み相談室 >

 科学部屋から出てきては、小さな息をぽつりと落とす。ここのところお馴染みになってきた行動に、ユーリもまた軽いため息をついた。

「またお悩みか、司祭さん」
「あ……ユーリ、さん」

 気まずそうな表情が返る。フィリアのことだ、おそらく見苦しいところを見せてしまったとでも後悔しているのだろう。案の定「すみません」との謝罪が、ユーリの耳を打った。

「謝ってほしいわけじゃねえよ。悩んでるなら、話くらい聞くぜ」
「でも、いつもそうしていただいてご迷惑だと……」
「思ってるなら、声なんてかけない。俺はそこまで面倒見がいいわけじゃないからな。それはあんたも知ってんだろ?」

 いつだったか、パニールには手を貸したが、ルークやフィリアに対しては断ったことがある。フィリアの話を聞くようになったのはそれを経てからのことだが、かつての出来事を口にすれば「そうでしたね」とフィリアも頷く。それでもまだ逡巡する彼女に小さく笑いながら、

「俺がいいって言ってるんだ。構うこたねえよ」

 と、甲板へ連れ出した。

 外気の当たる場所は珍しいことに、いつもより人けが少なかった。流れてくる風を受けながら適当なところで腰を下ろし、それで、とユーリは切り出した。

「今度はあのお坊ちゃんに何を言われたんだ?」
「えっ」
「ん?」
「あの、わたくし、まだ何も……」
「ああ、言わなくてもわかるぜ。それとも、違ったか?」
「……いいえ」

 違いませんと、顔がうつむく。ユーリは苦笑した。聞かずともわかるほど、フィリアが悩む原因といえば特定の一人しか出てこないのだ。

「実は先日、リオンさんと鍛錬に行ったんです」
「あの坊ちゃんと、あんたの二人で?」
「はい。リオンさんが指導してくださいました。わたくしは動きが鈍いですから、速さに富んだリオンさんにご指導いただけて、とても勉強になりましたわ」
「へえ、そりゃまた。いいことだろうに、何をそんなに落ち込むことになってんだ?」

 ユーリが首を傾けると、フィリアの顔がまたうつむいた。余計なことをしてしまった、とフィリアは言う。

「戦闘の最中、背後からリオンさんに襲いかかろうとする魔物がいたんです。リオンさんに声をかけるなり、わたくしが術で打ち払うなりすればよかったというのに」
「……あんたが庇っちまったんだな」

 はい、とフィリアが頷く。それで怒られたのか呆れられたのか、あるいはその両方か。どちらにせよ、フィリアはそれを受けて落ち込んでいた。余計なことをしてしまった、己の取るべき行動を誤った、そんな自己嫌悪に陥っている。
 フィリアの落ち込み具合は、今までのものより重かった。いつものように「とろい」だの「警戒心がない」だのという叱責を受けた時よりも(これについては言われても仕方ないと思う)、もっとずっと。見ているほうが痛ましいくらいだ。
 しかしユーリは、リオンの気持ちがわからなくもなかった。

(まあ、憎からず思ってる女に庇われたとあっちゃ、男のプライドがボロボロだろうな)

 何より自分の不注意でフィリアに怪我をさせたとなれば、面目が立たない。おそらく今、フィリアよりもリオンのほうが自己嫌悪に陥っている気が、ユーリにはした。
 けれど、リオンの対応も悪いといえば悪いだろう。ユーリはリオンへの共感を、早々に捨て去った。

「あんた、怪我はしてないのか」
「え? あ、はい。すぐにリオンさんが応急手当をしてくださいまして……その後ここで、改めて治療をしていただきましたから、もう、なんとも」
「傷を負ったのって、ここか?」

 人さし指をフィリアの胸元に当てる。マントを留める赤いガラス玉の下からのぞく肌に触れると、フィリアが目をまたたかせた。それから間を置かず彼女の顔が赤くなり、ずざさっと音を立ててユーリから距離を取る。それまで見たことのないフィリアの素早さに、ユーリは思わず噴き出してしまった。

「……!! か、からかうなんてひどいですわ!」

 真っ赤な顔に、潤んだ目はとても扇情的だ。相手が怒っているというのに、ユーリはすぐに謝れなかった。
 いかんいかんと思いつつ、こほんと咳払いをしてフィリアに向き直る。

「悪い。からかうつもりはなかったんだ。ただ、ここが赤くなってるのが目についたもんでな」

 今度は自身の胸元を示して告げた。フィリアは、多少の怒りと警戒を残してじっとユーリを窺っている。清廉潔白な場所である神殿で(その実態は真実綺麗なものかはわからないが)育ったフィリアには、これくらいの戯れも冗談ですませられないのかも知れない。ちょっと早まったか、とユーリは少し後悔した。
 けれどそこはフィリアの性格が、ユーリの後悔を打ち崩す。

「……わたくしこそ、ご相談に乗っていただいているのに、怒ってすみません」
「あー、いや。あんたの怒りは正当なもんだと思うから、謝る必要はないかと」
「そ、そうです! ああいった、こ、行為は……もう……」

 語尾が消えていく。恥ずかしいことこの上ないのだろう。こればかりは、ユーリが悪い。
 もう一度フィリアに謝って、ユーリは彼女を自分の近くへ招いた。もう変なことはしない、と強く告げると、おそるおそる彼女がやってくる。
 なんだか小動物を馴れさせる気分だ。

(……それもいいかもな)

 このまま馴らせば、指先だけで触れる以上のこともできるのだろうかと考え、すぐにそれを振り払う。変なことはしないと言った先から、何を変なことを考えているのだろう。これでは本格的に嫌われてしまう。

「それはちょっと勘弁してほしいかな」
「え?」
「ああ、いや。こっちの話」

 すぐ近くで腰を下ろしたフィリアに、ユーリは柔らかい(自分では柔らかいつもりだ)微笑みを向ける。そうするとフィリアも微笑みを返してくれた。どうやら先ほどの失態は水に流してくれたようだ。……多分。

「まあ、怪我云々はひどくないからいいとして。あんたもあんまり気にする必要はないと思うぜ」
「そ、そうですか?」
「ああ。あの坊ちゃんは、自分の不甲斐なさを人に当たり散らしちまうタイプなんだろう。その後で自己嫌悪に陥ったりな。だから次に会う時、あんたはあんたのままで会えばいい。普通に接しろ。それで大丈夫だ」

 我流もいいところである解決法を、フィリアは「わかりました」と受け入れた。こういう素直なところは嫌いじゃない。そうした理由から、ユーリはいつもフィリアの悩みを聞いていた。悩みの大半が同じ人物によるものというのは気に入らないが、その人物のおかげでフィリアといられるのも事実だ。
 だからユーリは、リオンの存在もそんなに悪いものとは思っていなかった。

「悪いものとは思ってねえぜ。存分に利用できるからな」 by.ユーリ
最低だ!(最低なのは私の頭だ)