< 違う君にくちづけを >

 珍しい髪形に目を引かれて彼女の元へ行けば、鼻腔をくすぐる甘い香り。
 ああ菓子を作っていたのかと、問う前に答えがわかった。

「こんにちは、ユーリさん。よろしければお召し上がりになりますか?」

 フィリアからクッキー入りの小袋を手渡され、ユーリはそれをありがたく頂戴した。他にも渡すのだろう、彼女の腕にはまだいくつかの小袋がある。
 ほんのわずか考えたユーリは、フィリアの隣に並んだ。ついていくことを行動で表明してみせれば、フィリアは拒むことなくユーリを受け入れた。
 船内を、フィリアに合わせて歩く。普段ユーリが歩いている一歩も、速さも、当然だがフィリアとは違った。身長の差もあるのだろうが、彼女はユーリに比べるとゆっくりだった。よく言えばゆとりのある歩き方、悪く言えば遅い動作。人によっては苛立ちも覚えるようなそれは、今のユーリには気になるものではなかった。ただ違うな、と思うだけ。
 違うと言えば、今日の彼女は。

「髪、上げてるんだな」

 目を引かれた一番の理由を口にする。唐突な発言のせいか、フィリアは驚いたようにユーリを仰いだ。
 しかしすぐに表情を戻して、はい、と頷く。

「お菓子作りの際には上げるようにしているんです。髪の毛が入ったらいけませんからね」

 予想通りの答えに、ユーリも小さく頷いた。そうだろうと思ったからこそ最初フィリアに近づいた時には何も聞かず、並んで歩き出した時に敢えて聞いた。

「そうしてると、いつもと雰囲気が違うな」
「そうですね。髪形一つでも、周りから受ける印象というものは変えられますから。ユーリさんも髪を結わえられたら、きっと雰囲気が変わるんでしょうね」

 いつか見てみたいですわ、とフィリアが言う。なんなら今から結ぼうかと返せば、慌てた声が返ってきた。

「いえ、あの、無理強いをするつもりだったわけではないのです。その、すみません……」

 ぺこぺこと、頭を上げては下げられ、ユーリは苦笑せざるを得ない。無理強いされたつもりはこれっぽっちもなかったのだが、どうもフィリアは一つのことを大ごとに考えてしまうようだ。面倒と言えば面倒、けれど面白いと言えば面白くもある。
 苦いものを除いた笑いに変えると、今度は不思議そうな面が返ってきた。笑われた理由がわからないのだろう。フィリアの、ころころと変わる表情を見るのは嫌いじゃない。自分の言動一つでフィリアの表情を変えるということは、いつしかユーリの趣味になってもいた。
 そんなことを正直に告げれば悪趣味だと言われるだろうか。言われてみるのも面白いかも知れないと考えながら、ユーリは一歩分、足を引く。

「ユーリさん?」

 わずかに退いたユーリに、フィリアが目をまたたかせた。

「ちょっと前、向いてみ」

 首をかしげるフィリアに構うことなく、自らの要望を相手に渡す。

「? こう、ですか?」
「そう。そのまま」

 相手の悪意を疑うことなく従うのはあまり褒められたことではない。けれどフィリアは、疑わないから。

(だから、からかいたくなんのかね)

 普段はあまり見ることのない、白い襟首。髪を上げていたフィリアを見つけた時のように、くちびるはそこに引かれる。

「あの……、!?」

 相手にも聞こえるように音を立たせれば、白かった箇所がまたたく間に赤らんだ。
 かと思えば、それはすぐに離れて、目の前には襟首以上に染まった顔がある。

「なななな、なにを、なさって……」
「ああ、うん。ムラッときて」

 からかいの中にもほんの少しの本気をこめて告げてみたが、案にたがわず怒られた。

実際に髪を上げたフィリアを見ればムラッときます。私が(お前かい)