< 必死すぎる君は可愛いよ >

 小さく上げられた声は耳に馴染みすぎていたものだった。体が動いたのはただの反射か、必然か。目と鼻の先で足をつまずかせたフィリアへ、ジューダスは咄嗟に手を伸ばしていた。

(……どうしてこいつは、何もないところで転べるんだ)

 フィリアの二の腕を掴んだジューダスは、内心でため息をつく。記憶が確かならば、数秒前までフィリアは普通に歩いていたはずだ。船内とはいえ床は平たく、障害物が落ちているわけでもない。それなのにどうして、つまずいて転ぶという行動を取れるのだろう。彼女は。

「おい、平気か」
「は、……はい」

 倒れることを覚悟していたのか、少し震えた声はやや遅れて返ってくる。すみません、と、か細い声が続き、

「ありがとうございます、リオンさん」

 振り返りながらフィリアは、当然のようにその名を告げた。

「!?」

 あまりにも自然な呼び方に、ジューダスは目を見開く。振り返ったフィリアもまた、同じように目を見開いた。

「ジュ、ジューダスさん! すみません、わたくしったら助けていただいたのに人違いを……!」
「……いや」

 驚きは大きかったものの、フィリアの慌てぶりのおかげか、ジューダスが冷静さを取り戻すのに時間はさほどかからなかった。構わないと答えて、掴んでいた腕を離す。それからすぐに別れればよかったのだが、ジューダスは動かずにいた。冷静さを戻せたといっても、まだ身の内に動揺が残っていたのかも知れない。

「ジューダスさんとリオンさんの声が似ていらしたので、間違えてしまったようです」
「似て、いるのか」

 はいと頷くフィリアに、ジューダスは同意も否定もできない。正確な意味では違うが、ジューダスとリオンは同じ人間だ。似ている、なんてものではなかった。
 反応に困っていると、何を勘違いしたのかフィリアが再びすみませんと謝ってくる。ジューダスは小首をかしげ、謝罪の理由を尋ねた。

「いえ、あの、気に障られたのかと思って」
「……」
「あっ、でも、ジューダスさんの口調のほうが落ち着いていますし、大人びていると思いますわ!」

 フォローのつもりなのだろうか。フィリアは必死である。

「…………」
「ほ、他にも思慮分別はジューダスさんを見習いたいほどですし、冷たいように見えますが何かと周りに気を遣っていらっしゃるところも尊敬できて」
「もういい、それ以上喋るな。お前の気持ちはそれになりにわかった」

 居心地が悪くなったジューダスは、咄嗟にフィリアの口を手で塞いだ。ようやく訪れた静寂に安堵しつつ、ふと自分の行動を振り返る。
 僕は今、何をした?
 思わず手が動いたが、これはないだろう。同性ならともかく、異性の口には軽々しく触れるものではない。そもそも相手はフィリアだ。こちらの世界ではどうなのかわからないが、少なくとも異性への免疫は少ないだろう彼女。

「すまない」
「……い、え」

 慌てて手を離したものの、果たしてフィリアの顔は熟れた果実のように真っ赤だった。
 気まずい空気が漂う。ジューダスはすぐにでもこの場を後にしたかったが、今の状態を放って逃げるのも気が引けた。何か声でもかけるべきかと口を開くも、適当な言葉が思いつかずに結局は口を閉じてしまう。

「あ、あの!」
「なっ、なんだ」

 悶々としているジューダスの肩を震わせたのは、意を決したようなフィリアの声だった。不覚にも驚いてしまったことに羞恥を覚えながら、先を促す。

「先ほどのお礼がまだでしたわ。助けていただいてありがとうございました、ジューダスさん」
「……礼なら一度もらっている」
「いいえ。あれはわたくしが勘違いしての発言です。助けていただいた方の名前は、きちんと伝えなくてはいけません」
「律儀な奴だな」

 皮肉のつもりだった評価を、フィリアは笑顔で受け入れた。ジューダスの真意を読み取っているのかいないのか、ありがとうございます、と嬉しそうにフィリアは言う。
 それまでの気まずい空気は、いつの間にか消えていた。どこかふわふわとした、柔らかい何かに包まれているような気分を今のジューダスは感じている。それはフィリアがこうして微笑んでいるからだろうかと考えて、すぐにそれを振り払った。
 これ以上の深入りは禁物だ。ジューダスは背を向けた。もう会話は必要ないという意思を見せれば、フィリアも声をかける真似はしなかった。賢明な対応に感謝しながら、それでは、というフィリアの別れの挨拶を背中に受ける。
 まさにその後。
 小さく上げられた馴染みのある声に、ジューダスは頭痛を覚えた。

「転ばずにすんだ先から転ぶとはどういう了見をしているんだ」
「い、いえ、転ぶつもりはなかったのですが……気づいたら世界が回転していましてその」
「僕の行動が無意味になっているじゃないか、まったく……なんだ、何を見ている。何がおかしい」
「ジューダスさんは、やっぱりお優しい方ですわ」
「……」

 フィリアの言葉にジューダスは何も言えない。
 ああそうだ、深入りは禁物だと思っているならそもそも手を出さなければよかったのだ。それができていなかった時点で、文句などもう言えないのだろう。

「……リオンと僕では」
「え?」
「僕のほうが大人びていると言ったな」
「はい。あの、わたくし何か言ってはいけないことを……」
「いや。それを本人の前では言わないほうがいいと、思っただけだ」

 ジューダスがそう言うと、フィリアは目を丸くさせた。あわあわと、決してリオンさんが子供っぽいなどとそういうつもりでは云々、フォローになっていないフォローと慌てるさまがおかしかったので。
 彼はくすりと、楽しげに笑った。

タイトルはジュっさんの本音です