< 親友以上恋敵未満 >

 チョコレートは飲み物だったという昔のおはなし。
 教会で修業をしている修道士たちは、チョコレートをよく口にしていたそうだ。断食の間でもチョコレートを愛飲していたらしく、その際には大論争も起こったとか。論争の果て、チョコレートは飲み物なので断食の戒律を破らない、という結論になったらしい。
 嬉々としてそんな話をされた時、普通ならば「へえ」「ふうん」「そうか」くらいしか言葉が出てこない。相槌の打ちようがないのだ、それは当たり前だろう。
 しかし今の相手が相手なだけもあって、おざなりな返事はできなかった。いや、どう考えたところで真剣な返事はできないのだが。

「そっか」

 落ちた言葉はやはりそんなもの。けれどその一言だけで終わらせず、ユーリは先を続けた。

「新しいことがわかってよかったな」

 うわべではない、これは本心だ。なぜなら相手は心から嬉しそうに、その話をユーリにしてくれたのだから。

「はい。ここの資料室は種類が豊富ですから、本当に読み甲斐がありますわ。かつての教会の資料まであるなんて、思ってもみませんでした」
「正直いうと、俺は教会云々のことなんてどうでもいいんだけどな。でも、あんたの嬉しそうな顔を見られるのは、悪くないぜ」

 もう一つ本心を言えば、目をまたたかせた後、フィリアはぽっと顔を赤くした。それから顔をうつむけて、もにょもにょと謝辞のようなものを告げる。いつものことながら、色めいた口説き文句は慣れないようだ。こちらとしても甲斐があるので、そう簡単に慣れてほしいともユーリは思わない。恥じらう姿は眼福でもあるのだ。
 もじもじとしたフィリアを気分よく眺めていると、ユーリたちに声をかける者が現れた。珍しく一人でいることに、ユーリは軽く目を見開く。

「やあ、ユーリにフィリア。歓談中かい?」
「ええ、お話していましたわ。こんにちは、フレンさん」
「一人でどうした。てっきり始終エステルと一緒にいると思ってたんだが」

 ユーリが疑問を口にすれば、フレンは小首をかしげて苦笑した。いつもつきっきりではあの方も気が休まらないだろう、と、フレンは答える。彼にしては融通のきいた台詞にまたも驚いたユーリは、思わずフレンの両肩を掴んだ。

「どうしたフレン、なんか悪いモンでも食ったのか!?」
「は、はあ……? そっちこそ、急にどうしたんだ、ユーリ」
「ユーリさん?」

 ユーリの様子にフィリアとフレンが驚いている。急に肩を掴まれれば誰であっても驚くだろう、それが普通の反応だ。驚いたのはこっちだともユーリは思ったが、すぐさま気を落ち着かせて理由を話した。

「何かとエステルにひっついてる頭の固い奴が、そんな柔軟な発言すれば驚くに決まってんだろ」
「頭が固いとは、言いすぎじゃないかユーリ。それに僕はそこまで固いつもりはない。君がいい加減すぎるんだろう」
「いいや。自覚がないだけで、お前の頭は下手したらダイヤモンドより固えよ。馬鹿がつくほどの真面目ちゃんだぜ」
「真面目の何が悪いというんだ。そういう考えだからユーリはだな」
「お二人とも、喧嘩はいけません!」

 両者の声に険が入り始め諍いが起きようとした時、ユーリとフレンの間に立ったフィリアがそれを阻んだ。普段であればあまり聞くことのない張られた声に、二人して止まる。それから目を見合わせ、ややあって引いた。

「あー……、悪い」
「いや、僕のほうこそ。すまない、ユーリ。フィリアも」
「い、いいえ。……あの、もしかしたら気安さからの言い合いかも知れませんので、そうでしたら差し出がましいことをいたしましたわ」

 こちらこそすみません、とフィリアが頭を下げる。悪いのはこちらのほうなのだが、フィリアも変に真面目だ。フレンといい勝負ではないかと、ユーリは思った。

「頭を上げてくれないか、フィリア。気安さの部分も確かにあったが、それだけではなく……なんだい?」

 頭を下げていたフィリアに声をかけるフレンだったが、不意にフィリアが顔を上げ目の前の顔をじっと見つめ出した。これにフレンが目をまたたかせ、それに気づいたユーリも首をかしげる。どうしたんだと、どちらともなく問えば、甘い香りがしますと答えが返ってきた。

「チョコレートですわ。もしかしてフレンさん、食されましたか?」
「え? あ、ああ、先ほどエステリーゼ様を部屋まで送った際に頂いたんだが……。すまない、気になるかな」
「いいえ、そんなことありません」

 フィリアの返事に偽りはないようだ。フレンが不思議そうにするほど、彼女は嬉しそうである。ユーリもまた眉根を寄せていたが、ふと思い当たった。

「さっきの話か」
「はい。偶然でしょうが、少し嬉しくなりまして」
「? よくわからないけど……、君が嬉しそうだと僕も嬉しいよ」
「え……」

 はからずもフレンは、ユーリと酷似した言葉をフィリアに告げた。比べるには、フレンのほうがストレートである。

「あの、フレンさん……?」

 ユーリの時と同じように、フィリアの顔は赤くなった。そして、真意をはかろうとしたのかフレンの名を呼ぶ。その呼びかけに答えるかのように、フレンは先を続けた。

「誰かが喜んでいるのは、見ていて気持ちがいいからね」

 それは優等生のような台詞で、

「そ、そうですか! そのお気持ちはわかりますわ」

 フィリアを安堵させるのに十分な効力を発した。
 爆弾発言と勘違いしたということもあるのだろう、フィリアの顔は赤いままだ。それでも幾分か落ち着きを取り戻した彼女は、そのままフレンとなごやかな会話を始めた。
 困っている人を助けるのは当然のことだ、お礼の言葉を聞くと嬉しい、そういえば先ほどはなんの話をしていたんだい、そんな言葉が交わされる中。

(……びびった)

 ユーリは先ほどのフィリアと同じように驚き、そしてひっそりと安堵していたのだった。

 しばらくの歓談の後、フィリアと別れたユーリたちは手合せをするために場所を移動していた。目的地へ移る間、会話らしい会話はない。いつもなら何かしらの言葉が交わされるものだが、と不思議に思ったユーリはフレンを見やる。
 彼は顎に手を当て、何か考え込んでいた。

「どうした、フレン?」
「ああ、いや……」

 最初は言葉を濁していたフレンだったが、やがて意を決したようにユーリに視線を当てる。先ほどの話だが、とフレンは切り出した。

「誰かが喜ぶ姿を見るのは気持ちのいいものだと思う。そのことに偽りはないんだが、一つわからないことがあるんだ」
「なんだ?」

 先を促せば、すぐに返答される。

「喜ぶ相手がフィリアだと、いつも以上に嬉しく感じるんだ。どうしてだろう」

 真顔で正面からそんなことを言われ、ユーリは二の句が継げなかった。
 落ち着いたはずの心が再び騒ぎ出す。

「……マジか」

 今後の平穏のためにどう答えるべきか、ユーリこそが誰かに問いたかった。

無自覚なら「気のせいだ」と答えるべきか、後で自覚されても困るから今のうちに恋敵宣言をしておくべきか
恋愛感情抜きにしても、フレンとフィリアは性質(まっすぐなところとか)が似てるので意気投合できそうな気がします