< 雇われの身の先? >
カウンタが無人であることに、リカルドは首をかしげた。いつもならばそこには、アドリビトムのリーダーが座しているはずなのだが。
(何かの依頼を受けて自ら赴くのなら、俺に声をかけるはずだが……)
一言もないということはありえない。リカルドはしばし考えたのち、階下へと足を向けた。
主要原動機のある機関室は、静寂とは真逆の空間である。常に機械の音が鳴り響き、安息の場には適していない。しかし、このバンエルティア号の所有者であるチャットという少女は、好きこのんでこの場にとどまる奇特な人間でもあった。
「おや、リカルドさんじゃありませんか。どうしました、機械に興味でも湧きましたか?」
「そういったものに関心はない。俺の目的は人探しだ」
そんな奇特少女に言葉だけを投げて、リカルドは機関室の奥へと進む。迷いなく向かった先には、目当てである人物がいた。
ただしそれは人というより、丸い物体だ。
「セレーナ」
「わわわ、わたしはなんて言われようと何も食べないからね! 何も聞いてない、何も聞こえてないんだから!」
リカルドが声をかけると、丸い物体からにゅっと両手が現れすぐさま物体へ押しつけられた。おそらく耳を塞いだのだろう動作に、リカルドはため息をつく。彼女が見当たらない理由の見当はついていたが、返ってきた言葉で確信が持てた。
アンジュがこんな奥まった場所で縮こまっている原因は、間違いなくあの不可思議な生き物だろう。二度目のため息をついた後、リカルドは丸い物体に手を伸ばした。
「きゃっ!」
「いくら雇い主とはいえ、その命令は聞き入れられんな。俺の言葉は聞いてもらわないと困る」
「え、あ……、リカルドさん」
「またあのコンシェルジュに追われてたのか」
掴んだ手首をリカルドが引けば、アンジュは「ええ」と答えながら立ち上がる。それから周りを確認したのち、先ほどのリカルドと同じようにため息をついた。吐き出された息は大きく疲労が滲み出ており、それはリカルドが吐いたものとは度合いが違う。よほど疲れている彼女に、リカルドは苦笑を禁じ得なかった。
「災難だったな」
「そこまでは言いたくないんですけどね。好まれてることはわかるし、それが嫌ってわけじゃないんですけど、ああやって甘い物をたくさん食べさせようとするのばっかりは……!」
耐えられない、とアンジュは肩を震わせる。体重などそこまで気にするほどのものではないと思うのだが、そんなことを口にすればリカルドもただではすまないだろう。彼女に目方の話題は禁止事項なのだ。
「リカルドさん、この近くにロックスの気配はないですよね?」
「ああ。ここにいるのは、いつもの小僧ぐらいだ」
「ちょっと、聞こえてますよ! 誰が小僧ですか!」
機械音でうるさいのに地獄耳だな、とわざとらしく言ってみれば、アンジュが小さく笑う。それを見てリカルドも小さく笑い、頭ひとつ分ほどの差がある彼女の頭へ手のひらを乗せた。
ぽん、ぽんと軽く叩くように撫でると、アンジュの口元が先ほどよりも緩んだ。
「ねぎらいですか、リカルドさん?」
「そうだな。君は、俺を含めて厄介な男に好かれるようだから、せめてもの詫びだ」
「え?」
アンジュが目をまたたかせるのと同時に、リカルドは手を離す。名残惜しそうに揺らいだアンジュの視線を心地よく感じながら、その手を彼女へと差し伸べた。
「カウンタに戻るぞ。ずっとここにいるわけにもいくまい。なに、心配するな。あのコンシェルジュが何を持ってやってきても、雇い主のことは契約通り守るさ」
「ちょ、ちょっと待ってリカルドさん、今、なんて」
反射的に出されたアンジュの手を取り、リカルドは不敵に笑う。
「賃金以上の働きも辞さないが、その場合は君の先行きを対価としてもらうつもりだから、よく考えるといい」
「リ、リカルドさん……!?」
どういうことですかと顔を赤くさせて、平静を装えない彼女の反応を楽しみながら、リカルドは繋いだ手を引いた。
一部始終を見せつけられたチャットは顔を真っ赤にして「人前でプロポーズまがいとかやめてくださいよ!」と喚いていたそうな