< 甘いもの >

 甘い香りに誘われて、足を進めていた。その香りは吐きそうなほどひどかったので、誘われると言うよりは原因を突き止めるためと言ったほうが正しい。次第に強くなる香りの先になんの変哲もない扉が一枚、開くとむせ返る香りの中にうずくまる人物が一人。疑問はまったく持たずに、彼女こそがこの香りの原因だと理解した。

「いったい何をした、フィリア」
「リ、オンさん。あ、あの、その、……すみません」

 うつむけていた顔を上げて、フィリアがぽつぽつと謝罪の言葉を呟いている。顔面蒼白なのは罪悪感からくるものか、あるいはこの香りに当てられてか。

「謝れとは言っていない。何をしたんだ」
「ええと、これを、……落としてしまいまして……」

 フィリアが指をさす。目線をそちらに向けると、一本の瓶が転がっていた。小さくもなく、大きすぎるわけでもなく。リットルには達しない程度の量が入るほどの瓶だ。しかし、香りから察するにこれは食用ではない気がする。リオンの考えを肯定するように、これが香料であることをフィリアが告げた。しかも徳用らしい。

「わたくしの不注意で、このようなことになってしまいました。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳……」

 フィリアの言葉は、最後まで続かなかった。「う」と声を詰まらせて口元を押さえる。こぼれた量が半端ではないのだ、気分が悪くなるのも当たり前だろう。とりあえず片づけは後にして、リオンはフィリアを連れて部屋を出た。
 部屋から出ても、香りはなくならなかった。鼻を突くほどの強い香りは薄れたものの、体中に染み込んでいるように離れない。しばらく甘い物は無理かも知れないと、リオンは思った。

「……落ち着いたか?」

 窓を開け放った部屋で過ごすこと十数分。リオンがそろりと尋ねると、フィリアも弱々しく答えた。少しではあるが、顔色も戻っている。フィリアの頬に手を添えながら、災難だったな、とリオンは言った。フィリアは苦笑いをこぼしながら首を振る。

「いいえ。先ほども言ったように、わたくしの不注意から起こしたことですから。災難だったのはリオンさんのほうですわ。本当に申し訳ありません」
「別に、謝らなくてもいい。お前に怪我がなくてよかった」

 床に落ちていた瓶は割れてはいなかった。見た限りでも、フィリアが何某かの怪我を負ったようには見えない。それについて安堵すると、フィリアがはにかんだ。頬を淡く染めながら、謝罪の言葉を感謝の言葉に変える。
 可愛いなと思ったままを口にすれば、リオンの手のひらに熱が伝わった。フィリアが照れていることに口元を緩めながら、リオンは顔を近づける。

「リオンさん?」
「甘い香りがするな」
「それは、香料のせい、ですわ。あの、こんな目に遭ってしまうと、当分は甘い物を受け付けなくなってしまうかも知れませんね」

 近づいた距離だけ退きながら、フィリアがまくし立てた。迫られるのには未だに慣れていないようだ。初々しいところは可愛いのだが、近づくたびに逃げられるのは不満でもあった。たまにはすんなり受け入れてくれればいいものを、と思う。しかしこればかりは持久戦かも知れないと思い直して、リオンはフィリアの問いに答えた。

「そうでもない」
「え? そうですか?」
「フィリアなら平気だ」
「……わたくし?」

 首をかしげるフィリアに近づく。今度は逃げない。おそらく考え込んで、リオンがすぐ近くまで来たことに気づいていないのだろう。こちらとしては好都合だ。

「しらないのか、お前ほど甘くてやめられないものはない」

 告げられた言葉を理解される前に、リオンはフィリアの思考を奪った。