< お願いがあります >
急にマントを引っ張られれば普通は驚くものだが、これまでに培ってきた自制心のおかげでそんな醜態をさらさずにすんだ。一呼吸置き、後ろを見やる。なんのつもりだと、リオンは低く呟いた。
「あの、あの、その……」
赤いマントを引っ張ってくれた人物は、意外にもフィリアだった。普段ならそんなことはしないであろう彼女が、何を思って突然そんなことをしたのか。リオンは怪訝な視線を送る。対するフィリアの表情は、戦々恐々としていた。その恐れようにリオンは首をかしげる。フィリアはリオンを怖がっているわけではなく、別の何かに怯えているようなのだ。
「何かあったのか」
疑問を口にすると、フィリアは小さく震えた。何かを口に出そうとし、それを閉じる。言葉にしたくてもできないのか、しかしそれではリオンになんの理解も与えない。とにかく離せ、と、リオンは未だマントを掴むフィリアの手を見やった。
「あ、す、すみません」
「別に。……で、いったいどうしたんだ」
「はい、その、実は」
「なんだ」
「実は……」
「言いたいことがあるなら、聞こえるようにはっきり言え」
こわごわと、もじもじと、いつまで経っても告げられないことに苛立ちを感じて強く言う。するとフィリアはまた肩を震わせ、それでもはい、とリオンに応じた。
「お、お願いがあるんです」
「……お前が、僕に?」
「はい」
なんとも珍しいことがあるものだとリオンはひっそり驚き、その先を促した。フィリアはもどかしそうに口を動かす。
「こ、この宿屋の外れにある森までご一緒していただけませんか」
フィリアからの頼みという珍事は、それをさらに行く内容で塗り尽くされた。
「…………なぜ」
一瞬とはいえあらぬ考えを持ってしまった自分を不覚に思いながら、リオンはようよう問い返す。あらぬ考えというのはあらぬだけあって、軽々しく口にできない。思春期まっ盛りの青少年なのだ、仕方ないといえば仕方ない。なぜ、と問い返すまでの沈黙が、リオンと内なるリオンとの戦いを如実に表しているように思える(気がする)。
「実はそこに、夜にしか咲かない植物があると聞きまして、今後の研究のために採取できればいいなと思ったんです。こんな時に何を言っているのかと思われるかも知れませんが、こうした機会は滅多にないですし、せめて種か根だけでもと思い……リオンさん?」
そんなことだろうと思った、とリオンは肩を落とした。万一にでもフィリアがリオンに対し、というか異性に対し、そんな艶事を持ちかけるわけがない(つまりリオンは一瞬でもそんなことを考えていた)。期待した僕が馬鹿だったと思い、いや待て期待なんかしているわけないだろうと考え直し、その後でフィリアに向き直った。
「採取するのはお前の勝手だが、そんなことくらい一人でできるだろう。お前は僕にその手伝いをさせるつもりか」
不機嫌よろしくリオンは文句を垂れる。フィリアはすぐさま謝ったが、しかし珍しいことに彼女は引かなかった。やはり言いにくそうなていで、それでもぽそぽそと言葉を落とす。
「あの、その辺りは夜になると……ゆ、幽霊が出るという噂が……」
ありまして、という言葉は、ほとんど音になっていなかった。しかしリオンには「幽霊」という言葉ですべて合点がいった。フィリアはそういう類いが苦手なのだ。だから一人では行けないのだろう。
馬鹿らしい、とリオンは思った。真相がどうであれ、そもそもそんな存在を認めるほうがどうかしている。司祭という職に就いているからこそ信じているのか、そうしたところで何を怖いと思うのか。
「魔物を相手にできているくせに、おかしい奴だな」
「そ、それとこれとは種類が違うじゃありませんか。ゆっ、幽霊は……幽霊だけは……」
柳眉が下がり、薄紫が潤み始める。ぎくりとして、リオンは泣くな、ときつく放った。すみませんとフィリアが顔をうつむける。リオンはため息をついた。
「そんなに怖いなら行かなければいいだろう」
「でも、せっかくですから……。それに、誰かと一緒だったら、行けそうな気がするんです」
泣きそうになりながら、そこは折れないようだ。こういう時ほど、頑固な性格が厄介なことはない。リオンはもう一度「なぜだ」と問うた。
「なぜその相手が僕なんだ」
「え?」
「こうして怒鳴られるのがわかっていながら、なぜ僕に頼む。普通ならルーティ辺りに頼むんじゃないのか」
リオンの言葉に、フィリアが目を見開いた。それから首を横に少し傾け、どうしてでしょう、と自問する。聞きたいのはこっちだと思わなくもなかったが、リオンは声に出さなかった。代わりにフィリアを見る。自問して、その答えが出るのを待ってみた。
「……採取しに行こうと思って、それから……」
己の行動を振り返るように、フィリアが呟いている。
それから。それからフィリアはリオンを思い浮かべたと、そう言った。
「リオンさんなら聞いてくれるような気がして。……いいえ、少し違いますわ。ただわたくしが、リオンさんと一緒にいたかったんだと思います」
言い終えたフィリアは、リオンに視線を当てた。リオンもその視線を受け、そして自分のそれを返す。
沈黙が続いた。
どれほど続いたのか、急にフィリアは頬を染める。
「わ、わたくしは何を言っているんでしょう。すみません、リオンさん。やっぱり他の方に頼みますわ。ご迷惑をおかけしました!」
翻り、駆け出そうとするフィリアへ、リオンは咄嗟に声をかけた。
「おい、誰に頼むつもりだ」
「ル、ルーティさんかマリーさんかスタンさんにでも……っ」
なぜそこでスタンが出てくるんだ。走りながら返ってきたフィリアの答えにぴくりと眉を上げたリオンは、待て、と怒鳴った。反射的にフィリアが立ち止まる。開いた距離は遠いが、それでも声は十分に届くほど。
「ええと……」
フィリアがリオンに恐る恐る顔を向ける。リオンは不承不承な表情で、それでも内心で(あいつに任せるくらいなら)と、敵愾心を燃やしつつ。
「他に頼む必要はない。僕が行く」
「え、あの、よろしいんですか?」
「僕の気が変わらないうちに早くしろ」
ぶっきらぼうな言い方になったが、それでもフィリアは顔を綻ばせた。はい! と、喜びを抑えられない声が返ってくる。
それをリオンは、複雑な気持ちで受け取った。
複雑な気持ち=嬉しいような、「スタン」の一言で焦った自分が悔しいような
ソーディアンはお休み中ってことで(決して忘れてたわけじゃ)