< 何かが芽吹きました >

 ずらりと並んだ背表紙を見上げながら、スタンは感嘆の息をついた。

「すごいね、本棚の上から下までぎっしり詰まってるよ」
「神学だけでなく、考古学や雑学的な部類も揃えていますから。ここ『知識の塔』は、神殿の隠れた名物なんですよ」
「へえ」

 騒乱からどれほどかの時間を経て、スタンはストレイライズ神殿に訪れていた。ダリルシェイドの様子、クレスタの様子、アルメイダの様子を確かめるついでに立ち寄ったというのが正しい。ついでとは言っても、神殿の状態も気にはなっていたし、フィリアとの再会も目的の一つではあった。
 神殿はそのほとんどが以前のように戻っていた。人々の混乱もようやく落ち着きを見せ、参拝者もちらちらと見える。フィリアもまた修復作業だけでなく、もともと行っていた仕事へと戻っていた。今の調べ物も、その仕事のうちらしい。
 久しぶりに会えたのだから話の一つでもしたいのだが、今取りかかっているものもなるべく早く終わらせたい。そんなフィリアの言葉に、スタンは手伝いを申し出た。わざわざ邪魔をしに、この神殿へ足を運んだわけではないのだ。
 フィリアは最初、訪問者にそんなことはできないと断った。しかしスタンが粘ると、やがて申し訳なさそうに受け入れ、そうして知識の塔へと二人で訪れた。

「……とはいえ俺、フィリアの仕事内容についてよくわかってないから、手伝うのってもしかして無理かな」

 今さらのように呟くと、フィリアが小さく笑った。そんなことは構わない、と彼女は言う。

「手伝うと申し出てくださった気持ちだけで十分ですわ。とても嬉しく思いましたもの」
「そう?」
「ええ。それに知己の息災を目にできて、安心いたしました。みなさんの無事もお伝えくださって、ありがとうございます。スタンさん」

 知識の塔へ来るまでの間、スタンは目にしてきた場所の様子を簡単に話していた。その中には、旅を共にした者たちの様子も含まれる。放浪癖のある貴族のことはあいにく見つけられなかったが、その親友から彼の息災は聞いていた。
 そのことを伝えると、神殿からなかなか出ることの叶わないフィリアはとても喜んだ。

「俺も、フィリアの元気な姿を見られてよかったよ。またいつか、みんなで会える日がくるといいね」
「はい」

 騒乱が終わって一度だけ、彼らはスタンの家へと集まったことがある。あれから一同が集まる機会は訪れず、だからというわけでもないが、スタンは村を出た。今度は自分一人で世界を回り、改めて己を見つめ直すことにしたのだった。
 その最中での、ストレイライズ神殿への訪問がこの時だ。

「よろしければ、スタンさんも何かお読みになりませんか。専門的なものはともかく、一般の方や子供向けの絵本や寓話などもありますから」
「あ、うん。じゃあ読んでみようかな。絵本なら、またクレスタに寄った時に子供たちに聞かせられるもんな」
「それはよい考えですわね」

 既に分厚い本を何冊か抱えたフィリアが答える。スタンも頷き、その一角へと向かった。

(クレスタか……それもいいかもなあ)

 一人旅が終わったら、孤児院で本格的に働くというのもいいかも知れない。リーネ村で祖父と妹と暮らすのもいいが、それだけではいけない気がする。自己満足かも知れない、それでも何か自分が納得できることがしたい。その「何か」はまだはっきりとしていなかった。

「フィリア、ここに座ってもいいかな」

 数冊の本を選んで、フィリアが本を広げた机へと向かう。ちょうど向かい側にいては邪魔になるかも知れないかと思ったが、一つの机に一人ぽつんといるのは侘しい気がした。
 フィリアの了承を得て、椅子へと座る。子供用の絵本ということで、一ページごとが少し厚めだった。
 短い文章、可愛らしい絵、その二つを眺めながら、ちらりとスタンは目を上げる。その先にあるのは、顔をうつむけるフィリアの姿だ。目を伏せているせいで、まつ毛の長さがわかる。意外と長いことにスタンは気がついた。

(口が動いてる)

 本の記述を覚えるためか、無意識に動かしているのだろう。紡がれているはずの何某かは、呟きのせいか音としてスタンの耳には届かなかった。

(そういえば、口に出して言ったほうが覚えられるってどこかで聞いたっけ)

 そんなことを考えながら、両手で持っていた絵本を静かに机へと置く。それから右手で頬杖をつき、絵本からフィリアへと鑑賞を変えた。
 無意識に口を動かすフィリアのように、スタンもまた意識などしていなかった。ただ引かれるように、目の前の対象を見つめる。そして現れるのは、新しい発見ばかりだった。

 数時間ほど経って、ようやくフィリアが顔を上げた。スタンが自分を見ていることに気づいたのか、驚きと羞恥を見せる。

「あの、スタンさん? 絵本、は……」

 開きっぱなしで机に置かれた絵本に視線を向けながら、フィリアが問いかける。スタンは今気づいたように、あ、と声をこぼした。

「フィリアを見るのに夢中で、忘れてた」

 あははーとのんきに笑うと、フィリアを染める朱が色を増す。恥じらう姿は、旅を共にしていた頃となんら変わりはない。そのことにスタンは、知らず安堵した。

「あっと、もうすぐ日が暮れるね」
「えっ、あっ、そ、そうですね! わたくしったら、また時間を忘れてスタンさんを引き止めてしまいました。その、すみません」
「謝らなくてもいいよ。フィリアは自分の仕事してただけなんだし、俺は俺で有意義な時間を過ごしたと思ってるし。じゃあ俺、そろそろ行くね」
「あ、は、はい……」

 神殿入り口までの見送りはいらないことを告げると、申し訳なさそうな、それでもどこか安心したようなフィリアの表情が返る。ずっと見られていたらしいことで、冷静な対応ができないのだろう。含羞を示すフィリアは可愛いと、スタンは素直に思った。

「近いうちにまた来るよ。その時は今日みたいに、一緒にここで過ごしてくれると嬉しいな」

 言い置いて、フィリアの反応も見ずに背を向ける。
 きっとフィリアは、今以上に顔を赤くしているだろう。ここで過ごすことの意味を察してくれているならば、の話だが。

神殿に寄ったのは本当に「ついで」に近いです。孤児院で働く気があったのも本当
でもフィリアを見てたらいろいろ発見があって「なんだか興味が湧いてきたんだぜ」みたいなスタン
この後間を置かず神殿に通い詰めて、そのままそこに留まればいいと思います
ちなみに知識の塔が名物云々は当然の如く捏造です