< 調理法には則りましょう >
慣れないギルド勤めや、さまざまな人や文化の違いに疲れているのではないだろうかと心配したとある騎士が、自国の王女のため、疲れを癒す効果のある甘い物でも作ってさしあげよう! と高々に言い放ったのがことの始まりだった。
それを聞いた騎士の友人は、作ること自体には反対しなかった。騎士は料理上手であり、反対する要素など一ミリもない。だがそれはあくまで、レシピ通り、に作ることが必須条件なのだ。
友人は尋ねた。
『もちろん、レシピ見て作るんだよな?』
騎士は答える。
『それもいいけど、たまには僕の嗜好を取り入れたものもいいんじゃないかと思うんだ。いつもと違った味というのも、いい気晴らしになるんじゃ』
友人は、一喝した。
「やめろっつっても、作るの一点張りでな。だったらレシピ通りにしろとは言い聞かせたが、作業が始まったら何をやらかすかわからねえ。俺が横について口を出したとしても聞きゃしねえだろうから、代わりに見張っててもらおうと思ったんだ。あんた相手なら、あいつも強く出れねえかなってな」
「それで先ほど、フレンさんを見ていてほしいとおっしゃったんですね。なんのことかわからなくて驚きましたが、今の説明で理解できましたわ」
「悪いな。気が急いてたもんで、いろいろすっ飛ばしちまった」
「いいえ。わたくしでお役に立てるのなら、喜んで協力いたしますわ。それで、フレンさんはもう食堂のほうに?」
ユーリは頷き、そのまま二人で食堂へと向かう。道中フィリアが、クレアやリリスへは声をかけなかったのかと問いかけてきたが、どういうわけか二人揃って食堂にいなかったとユーリは嘆き返した。
「こんにちは、フレンさん。こうしてお話しするのは、初めてですわね」
「ああ。フィリア、だよね。ユーリから聞いているよ。お菓子作りが得意なんだってね」
「はい。わたくしもユーリさんから、フレンさんは料理がお上手だと聞いていますわ。今回は、僭越ながらわたくしがお手伝いをさせていただきますが、ご迷惑にならないようにいたします」
「い、いや、そんなに頭を下げる必要はないよ」
深々と頭を下げるフィリアに、フレンは慌てている。顔を合わせてすぐに低姿勢でこられたことに対する驚きか、仕える側である自分へ畏まられることに対する不慣れさか。女性相手に狼狽するフレンを見るのは面白いと、ユーリは思った。
「こちらこそ、今回はお世話になるよ。じゃあ、始めようか」
「はい。フレンさんは、何をお作りになるんですか?」
「うん。ユーリに渡された本を見て悩んだんだけど、このフォレノワールにしようかと思うんだ」
身に着けている鎧を脱いだフレンと、衛生面で髪を上げたフィリアが、揃ってエプロンを着け、言葉を交わしながら菓子作りを始める。この二人が並んで作業に取りかかっているとは、珍しい光景だ。フレンの監視という、面倒な役割を任せた罪悪感が多少なりとユーリにはあったのだが、珍事に出会えたのだから頼んでよかったかも知れない、と少し考えてしまった。
作業は順調に進んでいた。フィリアが本に書いてあるレシピを読み上げ、フレンがその通りに動く。調理に関して手際のいいフィリアが余計なことを言わないもあるのだろう、今回はまともなものができそうだとユーリは安堵していた。
それまでの緊張が解けたからか、小腹もすいてくる。コポーを作る際に余ったチョコレートを頂戴できないだろうかと、ユーリはフィリアに声をかけた。
「これ、もらってもいいか?」
「あ、はい。飾りつけ用のものはできていますから、大丈夫ですわ」
「ホットチョコレートにでもすっかな」
「では、ホイップクリームも使いますか? キルシュ酒の風味がありますから、いつもと違った味が楽しめるかも知れませんよ」
「そーだな。んじゃ、遠慮なく……」
もらうか、と、続けようとしたユーリは、音を発そうと口を開いたまま固まった。
「わっ、フィリア!?」
フレンの驚いた声が上がる。作業をしている時、急に右手首を掴まれれば誰だって驚くだろう。フレンの反応は普通だ。しかし、ユーリはフレン以上に驚いていた。開いた口が塞がらない今も、その驚きは継続している。
おっとりやのんびりという単語が似合う彼女から想像もつかないほどの行動速度を見せつけられて、誰が驚かずにいられるというのだ。
「あー……、フィリア?」
フレンから遅れること数十秒、ユーリから声が出る。名を呼ばれ返事をするフィリアは、いつもと変わらない穏やかな表情をユーリに向けた。フレンの右手首を掴んだままにっこりと、それは綺麗な微笑みを。
恐ろしいことに彼女は、フレンの手首を掴む際もユーリと顔を合わせたままだった。そして掴んでからも、ユーリが声を発するまで姿勢を崩すことはなかったのだ。
フィリアはユーリと向き合ったまま、見ることのできなかったはずのフレンの右手首を正確に掴むという偉業を成し遂げた。
「あ、あの、フィリア? いったい、どうし」
「いけませんわ、フレンさん」
驚いてから固まっていたらしいフレンが、掴まれた手を見やり、フィリアを見やり、問いかけようとする。珍しいことにフィリアは、相手の発言をすべて聞く前に口を開いた。何がいけないんだろう、とユーリは首をかしげ、視線を向けた先にある物で合点がいく。
フレンの右手には、泡立て器ではなく皿があった。おそらく皿に乗っている物を入れようとしたところを、フィリアに阻まれたのだろう。その皿に乗っている物が……。
「おいフレン、なんだそれ」
「え、これかい? レバーペーストだけど」
「参考までに聞くが、なんでそんなモン入れようとした……?」
「そんな物って、レバーは疲れを取るのに効果的な食材なんだよ。エステリーゼ様の疲れを癒すには、こういった食材も取り入れないと、」
「フレンさん」
またも、フィリアがフレンの言を遮る。いつになく声に重みがあるのは気のせいだろうかとユーリは思ったが、フレンも肩を張らせたことで、それが勘違いではないことを知った。
「は、はい……?」
おそるおそる、フレンが答える。敬語になっているのは致し方ないだろう。ユーリがフレンの立場でも、同じように畏まっていた可能性しか見えてこない。
反対にフィリアは、先ほどと同じ表情だった。違うところといえば、その微笑みが威圧的であることか。
「今回は、レシピ通りに作る、と約束なさったのでしょう? その約束を、簡単にたがえてはいけませんわ」
「そ、そうです、ね……」
「それに、何事も基本が大事です。基がしっかりしていないと、応用することは難しいのですから。エステルさんを思っての行動とはいえ、調和の取れない物同士を合わせることは許容できません」
はっきりと、フィリアは言い切る。普段が普段なだけに、この一蹴には凄まじさがあった。
正直なところ、怖い。
「ご理解いただけますか?」
「はい」
フレンは、即答した。
そういった過程を経て、エステルへ渡すためのケーキは無事に出来上がった。
レシピ通りに作ったことで、ケーキは見目もよく、味もよさそうだった。途中の「アレ」が実行されなくてよかった、と、ユーリは心の底から思う。
ケーキが仕上がってすぐに、約束があるらしいフィリアは食堂を辞した。フレンとユーリが謝辞を述べると、自分のほうこそ役に立ててよかった、と喜んでいた。フィリアに続く形で、エステルの元へ向かうためにフレンも食堂を後にしている。今はユーリ一人が食堂に残っていた。
自分で作ったホットチョコレートを飲みながら一息つく。温かみのある甘い味は、ユーリの心を休ませるものだった。思いも寄らない珍事は、傍観するだけでも精神力を使うようだ。
ユーリは少し、疲れていた。
(……そういや)
小さく息を吐きながら、先ほどあった記憶を辿る。それはフレンが食堂を出ようとした際のこと。
『なあ、ユーリ。フィリアって、かっこいいな』
ぽつりとした一言と、呟いたフレンの頬に乗った朱色は、疲労による幻覚だったのだろうか。
真相は定かではない。
お菓子作りの無秩序は許さないフィリアとかどうですか(どうですかと言われても)
調理場組がいないのはお約束ということでひとつ