< 拳を握って、小指側の側面で振り抜きましょう >

 船内を歩くリオンの耳に、聞き慣れた声が入ってきた。思わず足を止め、声の出所を探す。何度か辺りを見回すと、とある部屋に見慣れた姿があるのに気づいた。
 若草色のみつあみは、リオンのよく知る人物だ。声を聞いただけで足を止めてしまう自分に複雑な気分になりながら、彼女のほうへと意識を向ける。

(あれは……)

 フィリアの前には、リッドがいた。いつもというわけではないが、時々見かける組み合わせである。以前、何かの依頼で一緒に行動したことがあって以降、話す機会が増えたということはフィリアから聞いていた。聞いてはいたことだが、どんな話をするのかがリオンには考えが及ばない。フィリアとリッドは系統が違うように思えるのだ。どちらかといえば、キールのほうと話が合うのではないかと考えたところで、それも何か面白くない気がした。

(……何が面白くないんだ)

 自分に苛立ちながら、リオンは考えることをやめた。フィリアが誰といようが、自分には関係のないことだ。この場から立ち去ろうとしたリオンは、聞き捨てならない言葉を拾ってしまう。

「やっぱり顎を狙うのが一番だな」
「顎、ですか?」
「ああ。外さないことが前提だけど、決まれば相手が男だろうが一発で沈むぜ」
「なんの話をしている」
「まあ、リオンさん」
「うわ、びっくりした。急に出てくるなよ。驚くだろ」

 言う割に驚いた様子のないリッドにかすかな苛立ちを覚えつつ、リオンは自分の行動にも後悔した。あのまま通りすぎることができなかった上、こうして二人の会話に混ざり込むとは。
 しかし、こればかりは仕方ないと言ってもいいのではないだろうかと、リオンは自分に言い聞かせた。

「驚いたのはこちらだ。お前、フィリアに何を教えている」
「へえ、お前も驚くことあるんだな。こりゃあ、珍しいもん見たぜ」

 けらけらと笑う男に、リオンの苛立ちが募る。声を荒げそうになったが、思いとどまることにした。冷静さを欠いていては、本題からそれていってしまう。不本意とはいえ話に割り込んだ以上、目的は果たさなくてはならない。

「お前にとって珍しかろうがどうでもいい。問題は、お前がフィリアに何を教えているかだ」

 きっぱりと告げれば、リッドは目をぱちくりとさせた。それから何度かまたたきをした後、態度を改めたリッドから答えが返ってくる。
 曰く、暴漢に襲われた時の対処法、らしい。
 この返答に、今度はリオンが目をまたたかせた。

「お前、誰かに襲われたのか?」

 咄嗟に声量を抑えたので、怒鳴る形にならずにはすんだ。しかし、焦燥は顔に出ていたらしく、フィリアが慌てたように否定した。

「違いますわ、リオンさん。わたくしは、誰かに何をされたわけではありません」
「されてないわけでもないだろ? 実際、ゼロスに口説かれて困ってたじゃねえか」
「口説かれた?」

 思わぬ単語に、リオンの声音がわずかに上がる。問い返せばフィリアが言葉尻を詰まらせた。目を向ければ顔を赤く染めてうつむいたので、リッドが言ったことは事実なのだろう。ゼロスという人物が出てきたことで、口説かれた、ということにも納得はいく。
 納得はいくが、気に入らなかった。先ほどのキールと似たような考えになっている気はしたが、今回はそれについては目をつぶる。それどころか、前言を撤回してもいいとすら思った。

「そういうことなら、徹底的に教え込んでもらったほうがいいな。お前のことだ、フィリアでも実践できるような説明をしているのだろう」
「えっ」
「まあな。普段やり慣れてる動作でやるやつだから、素人でもある程度のダメージは与えられるぜ。特にフィリアに対してなら相手も油断してるだろうから、効果は倍増するだろ」
「あ、あの、リオンさん、リッドさん?」
「そうだな。まさかゼロスも、フィリアから顎を狙われるとは思うまい」

 リオンがリッドと言葉を交わす中、フィリアはうつむけていた顔を上げておろおろとしていた。困惑しているのだろうことはわかっていたが、リオンはそれを気にすることなく彼女に向かって告げる。

「今度同じことがあれば、やれ。遠慮はいらん」
「リオンさん!? な、何を、おっしゃって」
「ああ、遠慮すると確実に外しちまうだろうからな。思いきり振り抜け」
「リッドさんまで! わ、わたくしはあくまで対処法を聞いただけで、実際にそれを行うつもりはありません。そもそも、ゼロスさんもからかっているだけでしょうから、それに対して暴力をふるうなんてことは……」

 驚きと焦りと困惑とが入り混じった青い顔で、フィリアが声を張った。しかしリオンも、そしてリッドも態度を変えることはない。それどころか、実践するつもりがないというフィリアを責める空気すら生み出している。

「本気だったらそれはそれで問題だろうけど、からかうのも十分タチが悪いじゃねえか。そういうやつには一発くらいお見舞いさせてやるのも手だぜ」
「一発と言わずに、十発ぐらいやってやれ。あの女好きにはいい薬だ」

 言い切る二人に、フィリアは言葉を失ったようだ。傍から見れば、男ふたりから言い迫られ困り果てる気の毒な女の図であるのだが、当の本人たちにそれを知るすべはなかった。

 フィリアがルーティによって、リオンとリッドから救出されるのはもうしばらく後の話である。そしてゼロスに何某かの報いがあったかは、これまた当の本人にしかわからないことであった。

リッドからフィリアに撃退法を教えたかっただけなんですが、肝心の教える部分がほとんどないという(致命的)
最終的に保護者(?)二人組ができあがりましたとさ